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山添 潤 展(2011.11.8~20)を終えて
ギャラリー揺 シリーズ企画「間」4
山添 潤 展(2011.11.8~20)を終えて

展示作品(会期中に展示替えあり) 石彫7点 ドローイング2点
1 work11-a   
2 work11-a ドローイング 
3 work11-d
4 WORK11-B ドローイング
5 WORK11-B
6 work11-b
7 work11-c 
8 WORK11-A
9 石の軀? 2011

搬入
山添さんのクレーン車から降ろされる作品は1.5トン。

work11-a
作品「work11-aドローイング」紙 鉛筆5B
石彫作品「work11-a」のフォルムを鉛筆で描き行為の痕跡を残す。

work11-d  work11-c
左 作品「work11-d」
羽トンボ(工具)で刻まれた織物のような格子目は、素材が石であることを忘れます。
右 作品「work11-c」
細かいノミ跡が全面に降り注ぎ、膨大な時間経過が見えます。

室内展示
室内展示

work11-b
作品「work11-b」
絵の具の黒を塗った上からステンレスのワイヤーブラシで磨いて仕上げた作品は、
隕石のように輝き、石より重い金属を感じます。

WORK!!-A
作品「WORK11-A」 黒御影石
「存在する強さを求めてノミを打つ。」と山添さんから伺いました。
行為から存在感を表現するための苦労は計りしれません。
何も見えない闇の中で石と格闘するようなものでしょうか?石と作家が一つに響きあった時に、感情は形に生まれ変わり、確かな造形物に昇華されるのでしょう。
強い存在感を持って和室に息づいています。

石の軀?2011
作品「石の軀? 2011」
石の存在感に圧倒されながら石の持つ時間を考えました。ノミで石を削って石の持ち時間を減らす行為は、作家の持ち時間をも減らす行為で、石が無くなるまで削り続けたい誘惑の背後に核心が潜んでいるように感じました。 
日頃は目に停めることもない小さな石ころひとつにも大きな存在意味を見つけました。

山添潤氏
木洩れ日が射す板間でくつろぐ山添さんご自身も作品のようです。
「石を彫る行為を重ねて、密度が高まり強さの頂点を手応えで感じた時が仕上がり」と伺いました。これからもノミを片手に制作の日々が続くことと思います。今後の作品を楽しみにしています。ますますのご活躍を祈っています。

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以下、美術ライター小吹隆文氏の記事を紹介いたします。

京都新聞2011年11月12日朝刊(美術欄)掲載記事
山添潤展 ― 深い思索へ導く造形 ―
京都府出身で、現在は茨城県を拠点に活動している石彫家・山添潤が、約2年ぶりの個展を開催中だ。
 彼の作品の特徴は、具象でも抽象でもない曖昧模糊とした形態にある。いや、作家にとって形態はさほど重要ではないかもしれない。もちろん大体の形は決めているのだが、石の魂を見つめ、ノミを打ち、痕跡や手に伝わる反発を感じながらまたノミを打つ。その膨大な作業、時間、何より素材との対話こそが作品の核心なのである。
「それが何かは分からないが、確かにあるのだ」という直感が、彼の愚直な制作を支えている。そして最後に立ち現れるのは、もはや「存在」としか言いようのない作品だ。このような仕事に比べたら、芸術批評など一時の言葉遊びに過ぎないのかもしれない。
 そんな山添だが、新作では新たな試みにも挑戦している。作品表面に黒のアクリル絵の具を塗り、ワイヤブラシで削り取ることでメタリックな質感をまとった作品や、表面の一部に磨きをかけて異なる質感の共存を目指した作品などだ。そうした新展開の萌芽も本展の見どころである。
 深い思索性を帯びた山添の作品を味わうには、たっぷりと時間を取る必要がある。立ち、座り、近づき、遠ざかり、触れるなどして作品と語り合う時、観賞者はいつしか自身の内部をのぞきこんでいる自分に気付くであろう。(小吹隆文・美術ライター)

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11/23 00:14 | 展覧会
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