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松村晃泰×藤井俊治展 ―body entrance―(2011.5.17~29)を終えて
松村晃泰×藤井俊治展 ―body entrance―(2011.5.17~29)を終えて

搬入
クレーン車から作品を降ろして庭に設置。(展覧会前日に搬入)

展示作品16点(立体5点 平面11点)

松村晃泰
イ man of caliber -宇宙- (能勢石 真鍮 水 2011)
ロ man of caliber -修羅- (能勢石 真鍮 水 2011)
ハ man of caliber -抱擁- (能勢石 鉄 水 2011)
ニ man of caliber -未知- (能勢石 鉄 水 2011
ホ man of caliber -賛美- (能勢石 鉄 水 2011))

藤井俊治
1 油の筆(綿布に油彩 2010)
2 甘い声(綿布に油彩 2010)
3 早く隠せ!(綿布に油彩 2011)
4 監視の眼(綿布に油彩 2011)
5 きみとぼくの屋台(綿布に油彩 アルミ箔 2011)
6 白夜の日課(綿布に油彩 2011)
7 迷いの看板(綿布に油彩 アルミ箔 2011)
8 ゆらぎのひも(綿布に油彩 アルミ箔 2011)
9 うつつの確変(綿布に油彩 アルミ箔 2011)
10 かごのなかのとり(綿布に油彩 2011) 
11 自分じゃない自分(綿布に油彩 2010)


『この展覧会には、お互いの作品を交換し、その作品をもとに各々が制作した作品があります。松村作品イ「man of caliber -宇宙-」から藤井は作品10「かごのなかのとり」を、藤井作品6「白夜の日課」から松村は作品ロ 「man of caliber -修羅-」を制作しました。この試みは、作品という物質を通じて相手の意図や共通点、または違いを感じることでしかなしえない表現の可能性を模索したものです。』(文 藤井俊治) 

油の筆
藤井俊治 作品1 「油の筆」

「今回の案内状はどうしてティッシュ付きですか?」や「ティッシュ付きDMが面白そうで見に来たのに、作品に繋がらないのでガッカリ!」の意見に「作家が花粉症だからです。」と簡単に答えたのですが、より詳しい返答を掲載いたします。

『今回の展覧会タイトルはボディエントランスと題したわけですが、ボディエントランスのひとつの解釈として「身体的出入り口」があてはまると思っています。「身体的出入り口」から排出されるもの、それは決して物質だけではなく、ことばや思いもあると思っているのですが、それらをティッシュでふきとる行為=自身から排出されたものを眼にみえるものにする、ということに繋がると思っているんです。確かに僕は花粉症ですが、鼻をかんで、かんだ鼻水をみたときに、自分が作品をつくる基本的な考えや行為自体とリンクするな、と感じたんです。ですから、使用されていないティッシュとは、私にとっては見えないものを見えるようにする道具としてとらえられると思っています。これはボディエントランスとティッシュのつながりのひとつの解釈だと思いますが、それを強要するつもりはありません。作家が花粉症でティッシュが必需品なんだというだけで納得する方もいると思いますし、今回のようなお話も出てくるかもしれません。』
(文 藤井俊治)

室内展示
室内展示風景

迷いの看板
藤井俊治 作品7 「迷いの看板」
筆跡が盛り上がる油彩の隙間からアルミ箔の銀色がチラチラと見え隠れします。

ゆらぎのひも
藤井俊治 作品8 「ゆらぎのひも」
物質の究極の要素は「粒子」ではなく「ひも」であるという「ひも理論」を感じ、ギャラリー揺の名前「ゆらぎ」と重なって、作家にお願いして当ギャラリー所蔵品に加えさせて頂きました。

庭展示1
庭展示風景1
5月なのに例年より雨量が多く、庭の木々は森のように生い茂りました。

庭展示2
庭展示風景2
重い石は空中に軽やかに、堅い鉄は自由自在に柔らかく、水は自然の雨水で作品の表面を覆い、くぼみに満たされています。

抱擁
松村晃泰 作品ハ 「man of caliber -抱擁-」
石と鉄の相性は良く、重い石を軽々と包み込んでいます。

未知
松村晃泰 作品ニ 「man of caliber -未知-」(部分)

以下は、松村晃泰さんから頂いた文章です。
『藤井氏との二人展の打診を受けたのは2年ほど前であったと記憶していますが、実際に展覧会の準備に取りかかったのは会期まで一年を切ってからになりました。単なる二人展にはしたくないという気持ちから打ち合わせの機会を設け、内容を検討すべくお互いの制作や生活でのキーワードを上げてみると、すぐに一致するものが見つかり、あっという間に今回のタイトル「body entrance」が導き出されました。
「body entrance」=「身体の出入り口」と捉えました。もちろん2人のキーワードが身体に由来するという事もありますが、「body」は表現を可視化する支持体。「entrance」は表現を定着させる過程と考えました。つまり、身体に入り込んだ目に見えないモノ(インプット)を、表現(アウトプット)するにはその装置(支持体)が必要で、それは表現のはじまりと終わり(過程)を伝える手段となっているということです。
打ち合わせで導き出されたことはあと二つ、ひとつはお互いの作品を交換し、その作品から受けたイメージやインスピレーションなどによって、それぞれの支持体によって新たな作品を制作すること。もうひとつは、展覧会を象徴するような案内状にするということです。これは簡単に言うと、鑑賞者の表現の可視化の装置という事でティッシュを使用しました。涙するもよし、唾を吐くもよしといったところです。
前置きが長くなりましたがこの展覧会を終えて私の所感を簡単に記したいと思います。
展覧会タイトルから:紐解くと意味するところはごく当たり前のことなのですが、改めて考えると支持体(素材)への想いをより深くせざるをえない、支持体と自分の関係性を見つめなおすよい機会になったと思っています。
作品交換から:制作の入口が自分の身体からではないので、インプットに時間がかかったが、その刺激が良い形でアウトプットされたと思います。また、共同制作やオマージュとは違い、お互いの作品を緩やかに繋ぐ関係性を見いだせる展覧会の通路のような作品になったのではないかと感じています。
案内状から:降って湧いたようなアイデアから始まったものですが、展覧会タイトル・内容ともリンクする良く考えられたものになったと自負しています。しかしながらリアクションは良いも悪いもこちらの想像以下でした。展覧会の本質は展示された作品と空間であるということと、そこに導くための仕掛けは小手先の変化ではたいした影響を及ぼさないという事を痛感しました。
まとめとして:展覧会を通して個展では得られない有意義な時間を共有(藤井氏ともギャラリーとも)することができたと思います。何事もアクションを起こさねばリアクションは生まれない、今後も己の表現に満足することなく留まらず、新たな可能性を求めてbodyにentranceし続けたいと思います。』 (文 松村晃泰)
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ユニークな案内状を見た時から展覧会への興味は始まっています。
ボディエントランス(身体的出入り口)から生まれた作品を前に、題名を見て、作家の説明を聞いて、今までとは違う扉が開く予感を感じます。このきっかけがアート作品の力であり面白さなのだと考えています。2週間の展覧会をありがとうございました。お二人の今後の作品を楽しみにしています。 (三橋登美栄)

最後に京都新聞2011年5月21日朝刊(美術欄)の記事を紹介します。
ボディエントランス
彫刻家の松村晃泰と画家の藤井俊治の二人展。
穴やくぼみ、人体の開口部などをテーマとし、互いの作品を交換して創作のきっかけとするなど、両者の世界を有機的に統合する試みが行われている。(美術ライター 小吹隆文)

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06/03 10:33 | 展覧会
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