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大徳寺 芳春院  2011年4月24日
大徳寺 芳春院  2011年4月24日

久し振りに和服を着て、京都市北区紫野にある臨済宗大本山大徳寺を訪問します。天気予報通り午後から激しい雷雨に見舞われ、慌てて雨コートを着ても足元は濡れます。
さて大徳寺では、特別公開「黄梅院」と「総見院」の立て看板が目に入り、2ヶ寺を拝観しました。

黄梅院1
大徳寺塔頭 黄梅院(おうばいいん)の入り口から広い苔庭を撮影。(境内は撮影禁止)
永禄5年(1562年)織田信長父・信秀の追善供養のために創建、「黄梅庵」と名づけられ、下って天正14年(1586年)、豊臣秀吉、小早川隆景に依って本堂、庫裏、唐門など諸堂の改築がなされて「黄梅院」と改め塔頭の1つとなりました。それぞれ国の重要文化財に指定されています。障壁画(雲谷等顔、等益筆 重文)や武野紹鴎の茶室「昨夢軒」や千利休の作庭した「直中庭」等いろいろ、室町時代を今に伝えてきた遺構が残されている寺院です。

総見院1
総見院1

総見院2
総見院2
大徳寺塔頭 総見院(そうけんいん)は、本能寺の変で亡くなった織田信長の菩提を弔うため豊臣秀吉が建立したお寺です。天正10年(1582年)、秀吉が主君信長の冥福を祈るために古渓宗陳(こけいそうちん)和尚を開祖として創建。本堂の内陣正面中央に木像織田信長座像が安置されています。豊臣秀吉が催した「大徳寺大茶会」は、ここ総見院だそうです。

芳春院山門
今日、訪問する芳春院(ほうしゅんいん)は大徳寺塔頭の内で最も北に位置しています。
慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、芳春院)が建立。法号をとって芳春院と名づけ、前田家の菩提寺となりました。夫人・松子は、二男九女の子宝に恵まれ、利家死後、徳川家康の圧迫から、前田家を守るため、江戸に下り人質としての苦悩の15年間を送られたそうです。

芳春院参道
芳春院の整った長い石畳の参道を歩くと心が落ち着きます。

八重椿
重たそうに下を向いて咲く淡いピンクの八重椿が迎えてくれます。

芳春院唐門
唐門から先は通常非公開で、一本の青竹で区切られた結界から境内に入ります。

芳春院境内
芳春院の境内。 ここから先の撮影は遠慮しました。
秋吉則州住職様に辻村史郎作の茶碗でお抹茶、吾只足知の和菓子、一久の大徳寺納豆を頂いて、とても不思議な像を拝見したのち、境内をご案内して頂きます。先ず本堂で、ご本尊の釈迦牟尼佛像、前田利家夫人像(正面ではなく左向きの像)、初代住職像をお参りしました。(因みに現住職・秋吉様は23代目)本堂の襖は白地で、現在京都の日本画家が制作中と伺い完成の日が待たれます。この前庭「花岸庭」は、枯山水庭園で山渓より流れ出る水がやがて大海へ帰る大自然を表わしているそうです。以前は桔梗が咲き乱れていたそうです。
本堂後には金閣、銀閣、飛雲閣と並び京の四閣と称される優美な二重楼閣「呑湖閣(どんこかく)」があります。呑湖閣は東方はるか比叡山の向こうの琵琶湖を飲むという意味で、
元和3年(1617年)に前田利家の子・利長が小堀政一(遠州)に依頼して建てたものと伝えられています。呑湖閣に至る橋は「打月橋」、樓閣山水庭園の池は「飽雲池」と命名されています。呑湖閣の二階に上がると、視界が広がり大徳寺の向こうには、比叡山、船岡山が眺められます。その後は、茶室、落葉亭、松月軒、如是庵を拝見しました。

芳春院
ここまで撮影を遠慮していたのですが、中庭に優しく咲く低灌木の白小花が目に入ると、「何の花ですか?」と質問しながら撮ってしまいました。名前を検索中です。

お忙しい日々をお過ごしの御住職様に、心暖かく丁寧にご案内して頂き、今日の一期一会の機会をとても感謝しています。 一番大切なことを書き忘れているような不安な気持ちになるのは、禅寺訪問のせいでしょうか?  
とても楽しい時間を本当にありがとうございました。

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05/07 17:26 | 日々
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