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和田ひとえ展
ギャラリー揺 シリーズ企画「間」1 
和田ひとえ展「音もなく、」(2011.2.15~27)を終えて

2009年に京都日本画新展(美術館「えき」KYOTO)優秀賞を受賞された和田ひとえさんに
「受賞記念個展は如何ですか?」とお声かけして今回の展覧会を開くことができました。

 雪の庭
搬入日の2月14日は午後から雪が降り始め、夕暮れには春の雪が積もりました。
展示作業が始まって室内には雪の作品が架かり、屋外の庭には自然の造形作品・雪景色が現れて、双方の雪を見比べて楽しみました。

展示作品7点
1 何もない
2 雪・音もなく、
3 雪の華
4 風が吹いて、消えてゆく。
5 漂う春の風
6 漂う春の風
7 甘雨

 展示風景
展示風景 午後からは、冬の自然光が低く差し込みます。

 「何もない」
作品「何もない」
雪の中に隠れていた物が雪解けで徐々に現れるように、表面の後にあるものがゆっくり見えてきます。

 「何もない」アップ
作品のアップ
「高知麻紙に表面から筆で絵具を置く気持ちでゆっくり浸み込ませて密度を出し、裏面から筆で墨を置いて、画面のマチエールに納得してからドーサを引く」と作者から伺いました。岩絵具、水干絵具、胡粉、墨などで描かれます。

 漂う春の風
作品「漂う春の風」
パンリアル展に出品の頃はこのカドミュームイエローの上に牛や象が描かれていました。現在はその具体的な形は無くマチエールだけの精神的な抽象絵画です。鑑賞者は戸惑いながらもゆっくり時間をかけて絵と対峙していると、少しずつ何かが表れてきます。受け入れ側の状態によって感じるものが様々に変化する面白さを味わいます。

 「風が吹いて、消えてゆく。」
作品「風が吹いて、消えてゆく。」
過去を乗り越え、自然の運命に任せて無心の境地で制作に集中される様子を想像します。
寡黙に口を閉ざすのでなく、かといって饒舌ではない作品は、耳を澄ませながら無い音を聞きたくなる作品です。

 「雪の華」
作品「雪の華」
作品を前に、文章を読むように画肌を読み解く過程から作品との対話をします。
作家と鑑賞者との間が狭まり理解できたように感じても、ある距離以上には近づけない見えない結界は、作品の内容が持つ力のようです。

最後に京都新聞2011年2月26日朝刊(美術欄)掲載記事を紹介します。
和田ひとえ展 ―光の移ろいや環境に意識―
ギャラリーと呼ばれる場所の中にワイヤでつるしてあって、額もついていたりするのだから、それを絵画作品と呼ぶことに躊躇を覚えることはない。しかし和田ひとえの作品を絵画作品といった枠組みでとらえてしまうのは、もったいないことだと思う。
和田の作品は、岩絵の具を用いて描かれた日本画である。茫漠とした画面には具体的なモチーフは見られない。すなわち和田の作品は抽象的な日本画である。しかし和田の作品が持つ可能性は、こうした記述にとどまらない。というのは、和田が作りだしたのは、色彩の微細なグラデーションであり、筆あとが作りだした岩絵の具の細やかな動きであるからだ。従って和田の作品を眺める時に必要なのは、普段は気に留めなかったような微細な存在に気づくまなざしであり、逆に言えば和田の作品はそうしたまなざしを作り出すものとして機能する。
ふつうの絵画作品は、世界の中で自律したものとして存在している。他方、和田の作品は世界とつながっている。微細な存在に気づくまなざしを作り出す結果、光の移ろいや展示場所の環境に鑑賞者の意識は向くようになる。こうした作品と展覧会名の「音もなく、」はぴったりと照応する。視覚の場である美術館やギャラリーにおいて、音がないということは意識されることはない。しかし和田の作品は環境へと意識を向けさせるがゆえに、それが音もなく存在しているという事実を気づかせてくれるのだ。(安河内宏紀 京都市美術館学芸員)

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03/15 21:52 | 展覧会
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