美術作家 三橋登美栄
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宇津啓子展(2020.10.20~10.25)を終えて
当画廊での宇津啓子展は2007年に続き2回目です。 今年の春、3月に「桜咲く」展を開催される予定でしたがコロナ感染拡大予防のために半年延期して、その期間に更なる準備を重ねて10月に「桜の花の咲く頃の思い出」展を開催。厳しい状況下にもかかわらず、多くの方々にご高覧頂いて大変嬉しく思っております。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ≪桜の花の咲く頃の思い出≫ 桜の花の咲く頃、空に広がる桜を見上げていると、何とも言いようのない満ち足りた心地がしてきます。この思いは今に始まったことではなく、幼い時からずっと感じていることのような気がします。そこにはまさに自由人であった母方の祖父林信蔵(ペンネームは林宜男)の気持ちとも重なるのかもしれません。 祖父は学業半ばで、松江から京都に出て画塾に入りました。橋本関雪先生の教えを受けたと聞いています。雅号は華舟であったということです。その祖父の桜の掛け軸一幅が大徳寺の塔頭聚光院にあると聞いています。残念ながらまだ実物を見たことはありません。終戦後、祖父が聚光院の和尚様に京都での両親の住居をお尋ねしたところ、芳春院をご紹介して下さったと聞いています。そのご縁で両親は大徳寺の芳春院に住まわせていただきました。お茶会に行ったり楽しく趣きのある生活をしていたそうです。 祖父は明治33年生まれで、多趣味の人でした。絵を描き、短歌を詠み、新聞に連載小説を掲載したこともあるそうです。茶道を好んでおりました。私が子供の頃、松江に帰ると、ゆったりとした時間の中で朝10時と午後3時にお茶の時間がありました。その時、私用の小さな茶碗、それには聚光院と記されていて金継がしてありました。これは現在手元にあります。私は今も祖父の夢の続きの中にいるようです。 橋本関雪先生ゆかりの白沙山荘、その近くの哲学の道には桜並木があります。そしてその北に位置するギャラリー揺で個展を開催できますことはとても感慨深いものがあります。桜の花の咲く3月に個展を予定しておりましたが、コロナ禍の影響を受け延期いたしました。その折には皆様にご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。季節は変わりましたが、どうぞ桜の花の咲く頃を思い出して御高覧いただけましたら幸いです。(宇津啓子) スポンサーサイト
10/31 22:24 | 展覧会 |