美術作家 三橋登美栄
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修学院離宮 2016.1.7
![]() まだお正月気分が残っている1月7日、今年も楽しい会話が弾む女性4人が修学院離宮表総門前に集合。ここ修学院離宮は桂離宮に遅れること30余年、明暦元年から2年(1655~1656年)にかけて、後水尾上皇によって造営工事が起こされ、万治2年(1659年)頃に完成した山荘です。 ![]() 表総門より入場後、参観者休所でビデオを見てから、10数名一緒に説明を聞きながら下離宮、中離宮、上離宮を参観します。(所要時:1時間20分位、約3km) ![]() ![]() 柿葺きの屋根と花菱文の透かし彫りが施してある板戸の御幸門から中に入ります。 ![]() 壽月観は柿葺き入母屋数寄屋風造り。 ![]() ![]() 壽月観の襖絵 ![]() ![]() 三角石を富士山に見立てた池と庭 ![]() ![]() 御幸門と相対する位置にある東門から出ると視界が大きく開け、比叡の霊峰から東山、北山の山並みが一望できます。 ![]() 松並木を左手に見ながら中離宮へ進みます。 ![]() ![]() 畑で農作業中の人影が見えます。昭和39年(1964年)上・中・下の各離宮の間に展開する8万m²に及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、景観保持されています。 ![]() ![]() ![]() 祇園祭の鉾の絵を描いた杉戸の筆者は狩野敦信と言われ、鯉の絵の筆者は不詳ですが、鯉の絵の網だけは円山応挙の筆と伝えられています。 ![]() 客殿の一の間は十二畳半で、一間半の飾り棚は、互い違いに配された大小五枚の棚板がいかにも霞がたなびいているように見えることから霞棚と呼ばれていて、天下の三棚と称されています。 ![]() 地袋には友禅染、引手は羽子板の形など優雅さが表れています。 ![]() 楽只軒の外には万両の赤い実が可憐に実っています。 ![]() 隣雲亭 ![]() ![]() 隣雲亭で説明を聞く参観者たち 一二三石 ![]() 隣雲亭から見下ろすと浴龍池が展開し、洛北の山々が見渡せます。 左手には洛中の街並みが広がり、その向こうに西山の峰々が望まれます。 ![]() 窮邃亭 ![]() のびのびとした風景が広がる西浜 ![]() 苔庭を散策 ![]() 大きな羽をゆっくり羽ばたかせて飛んで来たアオサギともお別れして修学院離宮を後にしました。 ![]() ![]() 修学院離宮表総門の南にある寺院・禅華院(ぜんげいん・ぜんかいん)は山門が二層となっている鐘楼門があり「解脱山」の扁額がかかっています。文政9年(1826年)修学院離宮中御茶屋の建物を移築し修復されたもので、梵鐘を撞く撞木が見えます。 比叡山麓に広がる雄大な修学院離宮参観後は左京区吉田に移動し、昼食からもう一人参加者が増えて5人揃って芝蘭会館でランチタイムです。 ![]() ![]() マグロとホタテのカルパッチョ カボチャのポタージュスープ ![]() ![]() ![]() 鴨肉のソテー サラダ デザートとコーヒ ![]() ランチを美味しく頂いた後は吉田神社を散策。 ![]() 銅板葺き屋根の家並みに木洩れ日が差し込みます。 ![]() 深紅が美しい冬の南天が輝いていました。 この近くにお住いのお友達のお宅にお邪魔して3次会。 楽しい時間はあっという間に過ぎ「まだ、大津には帰りたくない・・・」と言いながらも夕暮れ近くになりお暇しました。 スポンサーサイト
01/14 22:23 | 日々 |