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醍醐寺 2014.2.23
醍醐寺 2014.2.23
第379回「自然と語る会」(参加者24名)
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JR膳所駅8:48→石山駅8:52(乗換え)京阪バス(南郷2丁目東行)石山駅9:17→千寿の里(特別養護老人ホーム)下車9:32→陀羅谷→相月(オウツキ)11:30→笠取八景「時雨の宝筐塔」(昼食)→醍醐山頂(450m)→開山堂→如意輪堂→五大堂13:05→醍醐寺14:30→地下鉄醍醐駅15:11→山科駅→帰途
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今日の語る会は、毎年2月23日に営まれる醍醐寺の「五大力尊仁王会」に合わせての活動で、大きな鏡餅を持ち上げる「餅上げ力奉納」も拝観できるかもしれないと楽しみに歩き始めます。

コブシ
春を待つコブシの花芽が膨らみます。

分かれ道
分れ道に立つ看板「左笠取・右町内」を右に進みます。

メジロの巣
棕櫚で細かく編まれたメジロの巣はアート作品より素晴らしいです。

雪道
四輪駆動車やマウンテンバイクの轍が残る雪道を滑らないようにゆっくり歩きます。

雪解け道
峠を越えた南側山道の雪は解けて歩きやすくなります。

山道への入口
突然、ここから舗装道路に出ます。(近くの電柱「相月オウツキ」39(7813)が入口の目印)

醍醐山
木々の向こうに見える醍醐山へこれから登って行きます。

コクラン
コクランの花殻

223ヤマナシ
イワナシのピンクの花芽

アラカシとフジ
宇治市銘木100選のアラカシ(樹高14m 樹の周り4,4m 樹齢300年)とフジ(樹齢200年)

醍醐寺境内山道
醍醐寺境内山道

イズセンリョウ
イズセンリョウ(伊豆千両 ヤブコウジ科イズセンリョウ属)
林内のうす暗いところを好む低木で、冬に白い小さな果実がかたまって付きます。枝が細いうえに長く伸びるので倒れがちで、倒れた長い枝はつる性のようにも見え、また枝のどちらが上かわかりにくいことがあります。静岡県伊豆半島に多くセンリョウに似ることからイズセンリョウと呼ばれています。

醍醐山頂に向かう
醍醐寺山頂に向かいます。

開山堂
上醍醐 開山堂 桃山時代(重文)
醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂。最初は御影堂といい、延喜11年(911)に理源大師の弟子、醍醐寺第一世座主、観賢僧正によって建立されましたが、後に焼失。鎌倉時代に再建されたものの荒廃してしまいました。現在のお堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもので、雄大な桃山時代の特徴をよく表した山上最大のお堂です。お堂の内陣には、中央に醍醐寺開山聖宝理源大師像、左に真言宗宗祖弘法大師像、右に醍醐寺第一世座主・観賢僧正像が奉安されています。

如意輪堂
上醍醐 如意輪堂 桃山時代(重文)
如意輪堂は、醍醐寺開山の理源大師聖宝が上醍醐を開いた際、准胝堂と共に最初に建てた建物で、「醍醐寺縁起」では、創建を貞観18年(876)のこととしています。現在の建物は慶長11年(1613)建立のもので本尊如意輪観音と共に脇の間に毘沙門天、吉祥天が祀られています。

五大堂
上醍醐 五大堂
五大堂は延喜13年(913)に醍醐天皇の御願堂として創建されました。以後数度の災に遭い、現在の五大堂は昭和15年に再建されたものですが、山上に聳えるその偉容は、鎮護国家を託された往時の山上密教寺院の雰囲気を今に伝えています。

五大力尊
五大力尊
五大力尊仁王会は不動明王など五大明王の力を授かり、その化身・五大力菩薩によって国の平和や国民の幸福を願う行事です。その歴史は醍醐天皇の時代、西暦907年まで遡ることができます。この日に限って授与される災難・盗難除けのお札「御影(みえい)」は、京都の町屋や老舗はもちろん、各家庭の出入り口に貼られています。このお札を求めて、早朝から夕刻まで人の列が途切れることがありません。全国から十数万人の参拝者が訪れるこの仁王会は、醍醐寺最大の年中行事として知られています。

アオキ
アオキの赤い実

不動の滝
不動の滝

林泉苑
林泉苑

柴燈護摩法要
柴燈護摩法要

醍醐寺境内
大勢の参拝客で大賑わいの境内

餅上げ力奉納
「餅上げ力奉納」は毎年2月23日に行われる伝統行事で、鏡餅を持ち上げる「力」を奉納することで無病息災のご利益を授かると言われています。鏡餅の重さは、台と合わせて男性は150キロ、女性は90キロあり、今年は男女合わせておよそ120人の力自慢が参加しました。持ち上げられない参加者が多いなかで、顔を真っ赤にしながら、両手で抱えた台をひざの上に乗せて必死に耐える人が出てくると、会場からは「頑張れ」と力強い声援と拍手が送られていました。

五重塔
五重塔 平安時代(国宝)
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。京都府下で最も古い木造建築物となっています。
大法要の参拝客で賑わう境内の人混みに押されながら、青空に凛と建つ国宝の五重塔を見上げて、醍醐寺を後に帰途に就きました。 ありがとうございました。
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02/28 01:00 | 山歩き
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