美術作家 三橋登美栄
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大文字山 2013年1月29日
第337回 自然と語る会「大文字山」(参加者16名) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ JR膳所駅8:48→山科駅集合9:00→地下鉄東西線山科駅→蹴上駅→日向(ヒムカイ)大神宮→七福思案処10:30→大文字山頂上(465.4m)11:50昼食→俊寛僧都忠誠之碑・楼門の滝→霊艦寺13:30→南禅寺14:00→蹴上駅→山科駅15:11→帰宅 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() 蹴上駅で下車し、少し山科方向に戻り日向大神宮の参道を登ります。 ![]() インクライン ![]() タマミズキの赤い実が美しく広がります。 ![]() イカル(スズメ目 アトリ科)(撮影:大西久夫氏) 全長23cm。体は灰色で翼と尾と頭は青味のある黒色。大きな太い黄色のくちばしで、堅い木の実や草の実をくだいて餌にします。北海道、本州、四国、九州で繁殖。山麓や平地の林の中にいて、「キー コー キー」と、よく通る声で鳴きます。地鳴きは「キョッ キョッ」という鋭い声。冬には数百羽の群れになることもあります。奈良の斑鳩(いかるが)の里は、昔イカルがたくさんいたところから名づけられたらしいです。 ![]() 竹垣が続く「日ノ岡一切経谷町」辺りは、大きな空き家や朽ちかけた民家が点在し、当時を偲びます。 ![]() 日向大神宮境内の外宮 ![]() 日向大神宮境内の内宮 ここにフユザクラが咲いていたそうですが見落としました。 ![]() 日向大神宮境内の天の岩戸の横から、山道に入り大文字山頂上を目指します。 ![]() 楢枯れ 「ここは、カシノナガキクイムシにより枯死した樹木を伐採処理した跡地です。このまま放置するとシカ等の食害により植生が回復しない恐れがあります。このため防鹿柵を設置し自然の働きによる植生の回復を図っています。 林野庁 京都大阪森林管理事務所」の立札が立っている所です。 ![]() 展望が開けて山科市街を見下ろします。 ![]() 頂上に向かう山道 ![]() 大文字山頂上では、青空の下に靄が広がって京都市内は霞んでいます。 ここで暖かい日差しを浴びてランチタイムにします。今日は手作お弁当とパンプキンカップスープを美味しく頂きます。 昼食後、火床には行かずに来た道を少し戻った分岐点から鹿ヶ谷方向へ下山します。 ![]() 湧水は鹿ケ谷川の源流 ![]() 急な傾斜の山道にとても大きな岩が鎮座 ![]() 俊寛僧都忠誠之碑 俊寛は後白河法皇の側近で法勝寺の座主。また『平家物語』や能『俊寛』で有名な僧侶でもあります。藤原成親、西光らの平氏打倒の陰謀に加わり、鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われました。その謀議がなされたのが鹿ケ谷にあった俊寛の山荘においてだったため、「鹿ケ谷の陰謀」(1177年)とよばれます。 俊寛は鬼界ケ島(薩摩国)に配流され、大赦があっても俊寛だけは許されず、失意の中で彼の地で死ぬ…と、能のなかでは悲劇の人物。その悲劇の俊寛を顕彰するのに建てられたのがこの碑です。俊寛の山荘がどこにあったか、その正確な場所は不明ですが、だいたいこの辺りではないか?ということで、1935年にこの地に碑が建てられたそうです。 ![]() 楼門の滝 このあたり一帯に如意寺とよばれる園城寺(三井寺)の別院があり、この滝の場所に如意寺の楼門があったそうです。建造物の跡地があり、あちこちに石組みが残っています。この道は、園城寺(三井寺)への参詣路だったそうです。かなり急な山道を下りて行くと「俊寛僧都旧跡道」の石碑が立ち、波切不動尊(瑞光院)に出ます。 ![]() ![]() 民家の植木にホオジロが2羽。正面から見ると歌舞伎役者の隅取のようでカッコいいです。 ![]() 霊鑑寺から哲学の道を南禅寺に向かって歩く途中で、可愛いノラネコさん数匹に出会います。 自然と語る会の活動で京滋の山歩きに度々参加しますが、後から付いて行くばかりで、山道をほとんど覚えていません。でも今回は分れ道をチェックして京都トレールの標識を撮影しましたので、これを参考に家族か友人を道案内したいですが、やはり不安なので見送ることにします。今日もありがとうございました。 スポンサーサイト
02/03 21:55 | 山歩き |