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井田 彪 展(2012.12.4~16)を終えて
井田 彪 展(2012.12.4~16)を終えて

「若狭高浜で夕陽を眺めている時、遥か彼方の水平線に空気に包まれて沈む太陽の音が聴こえて感動した。」と井田彪氏から幼少時代の思い出話を伺いました。その感動は今も消えずに制作原点に繋がっているそうです。
「air to air resonance」で、作品から聴こえる音を包んでいる空気の共鳴を観賞することは、音楽を観るようで不思議です。太陽が沈む音は聴こえない私ですが、作品の音に耳を傾けることは可能で、空気の存在を再意識しました。 冬の澄みきった空気の中で、庭の立体作品は高く伸びて空まで共鳴しています。

揺入口 揺入口

1 平面 air to air resonance-w5    
2 平面 air to air resonance-w10
3 立体 air to air resonance-s57
4 平面 air to air resonance-p11
5 平面 air to air resonance-m17
6 平面 air to air resonance-p20
7 立体 air to air resonance-s71
8 平面 air to air resonance-n16
9 立体 air to air resonance-s20
10 立体 air to air resonance-10

板間展示 板間展示

平面作品1 平面作品 (和紙 アクリルカラー 墨-)

平面作品2 平面作品 (和紙 アクリルカラー 墨)

立体s71 立体s71 (粘土 金彩釉薬)

立体s70 立体s20 (粘土 金彩釉薬)

立体s20部分 立体s20 部分

立体10-1 立体10 (耐候鋼 カシュー(人工漆) 樹脂コーティング)

t立体10-2 立体10

立体10-3 立体10


「air to air」その思い

「わたし、いま、ここ」をつねに問いかけて、包摂し、囲繞されている世界に感応し、さまざまな環境や自然や壮大な宇宙のなかで生きている私がいて、あなたがいる。そして、この生き、生きられる大地の空間には、「空気」といった生命をもたず眼にみえない物資がある。この「空気」が地球上の自然界の万有の動きの始原のひとつである、と考える。その「空気」は、つねにそれ自体を動かすとともに、他のものも合成や分解や増大や生成や消滅させ変容させる動的存在である。そして生命系を維持する現在的存在である。
 この動的存在、自然界の生命や物質を変容させつつ、森羅万象を循環させる存在である「空気」を主テーマに造形活動を展開している。また、この「空気」を、さまざまな造形でもって眼にみえない「空気」を顕在化、体現させようとしている。いわばこの顕在化は、「わたしの存在」を鮮明化することであり、「生きる今」を他者と共振し、感じることでもある。
 また、この「空気」である「air」を広義な意味での「空気」として捉え、膨張する宇宙の中の地球、その地球に生きる「わたし」という関係を作品に取り込み、さまざまな素材でもって造形活動を広げている。それは「空気=空間」の視覚化と「人間の感性」を蘇生させる場と場所の創り出すことである。
 そして、宇宙の創始と、その形成を見つめつつ、それぞれの人々が「わたし、いま、ここ」を問い、そして、それぞれの人々が「生きるわたし」であるその存在に気づき、互いに「生」を共振できることをめざして作品を創作している。
 ぜひ、作品を通じて、眼にみえない「空気」を全身で感じ取ってもらい、「宇宙」のなかの「わたし」である「あなた」を見いだしてもらいたい、と思っています。          井田 彪

庭展示 庭展示

会期中の京都新聞朝刊文化面(2012年12月13日)に掲載された文章を紹介いたします。

「私のモノがたり」
小さな木箱は、たばこ好きの亡き父が若いころに手作りしたらしい。一升ますを一周り大きくした大きさで刻みたばこの葉をいれていた。使い込んで表面は黒々としている。箱の縁がわずかにへこんでいるのは、きせるでコツコツたたいた跡だ。これを見ると、井田彪さんは、食卓の風景をおもいだす。
 井田さんは5人きょうだいの4番目。明治生まれの父は、布帛(‘繊維)製造業を営んでいた。細かい繊維の粉じんが舞う工場内では火気は厳禁。父は住居でも、ちり一つにも気を使う人だった。毎日細かな所まで掃除を欠かさない。清潔好きで、行儀にも厳しかった。食事の時、父は、きせるを手に、いつも左脇に、この箱を置き、箱の縁をたたいた。少しでも子どもがうるさかったり、行儀が悪かったりすると「容赦なくきせるでぶたれた」という。「小さい頃から大人になるまで、この箱は私たちの成長を見ていた」。自身、父譲りのたばこ好きだ。
 親子7人で囲んだ食卓は、創作の現風景だ。井田さんは幼少から「なぜ自分がきょうだいの中のこの位置にいるのか」疑問だった。「長男にも末っ子にもなれない。三男という立場を演じ続けなければならない」。また、次兄は戦後美術界で版画の概念を押し広げた照一さん(1941~2006年)でいつも照一の弟としてみられ、兄の存在をこせない」。
 そうした葛藤は自分の位置はどこなのか、周りの世界との関係性、「わたし、いま、ここ」というテーマへ連なっていった。さびた鉄板、自然石、角材を組み合わせ、空気に切り込む緊張感あふれる造形は、水平や垂直、間など目に見えないものを意識させる。「形を作るのではなく、空気が形態を作り出す。ものの周囲の空気を、いかに感じさせられるか。形と空気の共振によって互いの存在が感じられると、今という時間が現現してくる」
 頑固な父と世話好きな母は、子ども全員を「好きな道をやり遂げろ」と社会へ送りだした。井田さんにとって父親の象徴である四角い木箱は、家庭や社会、そして宇宙にいる自らの位置を示唆してくれる存在なのかもしれない。        (河村 亮)

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12/25 17:29 | 展覧会
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