美術作家 三橋登美栄
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比叡山・大比叡 2021.6.20(参加者6名)
…………………………………………………………………………………….. 京阪膳所駅(8:26)→坂本比叡山口駅(8:48)→ケーブル坂本駅(9:30)→登山開始→ガーデンミュージアム比叡通過→大比叡(848m)→見晴らし台?(12:30昼食)→根本中堂通過→登山終了→坂本ケーブル延暦寺駅(15:30頃)→ケーブル坂本駅→京阪坂本比叡山口駅(16:30頃)→京阪膳所駅→帰宅 …………………………………………………………………………………….. 山歩きのグループリーダーからのお声かけで、比叡山・大比叡界隈を散策しました。4月30日に湖南アルプス矢筈ケ岳に行って以来の山歩きです。 ![]() ![]() 日吉大社の三の鳥居脇、早尾神社の石段下にあり「かくれんぼう地蔵」とも呼ばれています。このお地蔵さんは西教寺を開山した真盛(しんせい)上人が誕生した日に姿が消え、亡くなられた日に姿を現したことから、このように呼ばれています。 ![]() ケーブル延暦寺駅からの展望は、雲が多いながらも遠くまで見渡せて上々です。 ![]() 坂道が急な個所はゆっくり登り、大比叡を目指します。 ![]() ![]() 左側の石燈籠の笠が地上に鎮座。どうした事でしょう? ![]() 満開のウツギ ![]() マルミノヤマゴボウ ![]() ![]() 「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡のみ山をぞいふ」(慈円)と詠まれました。京都・滋賀県境に位置し、古事記にも淡海(おうみ)の日枝(ひえ)の山として記されています。京都の南の方から眺めると四明岳(しめいだけ)と大比叡(大岳)の二峰を持つどっしりとした山ですが、京都御所より北から見れば大比叡は四明岳に隠れ、都富士ともいわれる三角錐の均整の取れた山容となります。大原から東海自然歩道、叡山電車修学院駅から雲母坂(きららざか)、滋賀県側は坂本の日吉神社からの表参道が山頂へ続きます。 ![]() ![]() イワガラミ ![]() ツルアジサイ ![]() ![]() ![]() ユリノキ(別名 ハンテンボク、チューリップツリー、レンゲボク) ![]() 大きくそびえ立つユリノキ(写真中心)の右手に沖ノ島、遠くには竹生島も見えます。左奥は京都の山々が連なり、素晴らしい展望が開けています。手前には一面に満開のウツギが咲き乱れています。 ![]() ![]() 見晴らし台?で楽しく昼食。日曜日のこともあり、かなり賑わっていました。 ![]() ![]() 完熟のモミジイチゴは美味しいです。 ![]() 静寂に包まれた慈眼堂 ![]() 滋賀院門跡の菩提樹の花 ![]() 菩提樹の大木 山歩きメンバーも高齢化が進み、険しい登山は無理になったとはいえ、「ゆっくりやったら、登れる!」と何度も唱えながら、里山ハイキングを続けられることに感謝しています。可憐な山野草を見つけて歓声を上げ、自然の生命力をもらって元気に帰宅しました。今回もありがとうございました。 《追加》 ![]() 6日後、再び同じコースを歩いた後、回峰行者の拠点であり不動信仰の谷である無動寺谷に降りて行きました。無動寺に向かう途中の斜面でギョリンソウに出会いました。陽の当たらない林内に白く浮かび上がって見えるため、ユウレイソウとも呼ばれています。木陰に群生する光合成を行わない腐生植物です。(三橋登美栄) スポンサーサイト
06/23 22:35 | 山歩き group 93/81/72展(2021.5.18~30)を終えて
2009年に番画廊(大阪)でgroup81展を開き、その後2013年まで毎年開催。その「group」の名前を引き継ぎ、参加メンバーの変更後、2014年からgroup86/74/65展を弊画廊で毎年開催して今年で8回目です。(展覧会名の数字は、開催年の3作家の年齢を表しています。) ![]() ![]() ![]() 林 康夫「浪江町の景」 ![]() ![]() 林 康夫「浪江町の景」 ![]() 東北大震災から10年が過ぎました。 3年前に尋ねた浪江町は、白く荒れ果てた地面が茫漠と広がっていました。その時の印象の凄まじさに圧倒され、当地に居住されていた人達のことを思い、私に出来る事はと考え、東北シリーズとしての制作を続けています。(林 康夫) ![]() 林 康夫「浪江町の景」 ![]() 林 康夫「浪江町の景」 ![]() 林 康夫「浪江町の景」 ![]() ![]() ![]() 木村秀樹「Mt. Fuji 3」 ![]() 木村秀樹「Mt. Fuji 2」 日本人にとって最大且つ永遠の主題とも言える「富士山」。 半透明のメデイウムをスキージングし皮膜を造るという、20年来継続している技法によって試みました。 空に浮かぶ雲のように透けた富士山になりました。(木村秀樹) ![]() ![]() ![]() 中馬泰文 remake 「button」 ![]() 中馬泰文 remake 「button」(circle) ![]() 中馬泰文 remake 「button」(triangle) ![]() 中馬泰文 remake 「button」(cross) ![]() 中馬泰文 remake 「button」(square) 小学生の頃、雑巾を手作りする裁縫の授業があった。 糸を繰り運針をする。 時々針で指を刺し、その度に大声で悲鳴を挙げたものだ。縫い上げられた雑巾は点々と赤い模様がついた。 いまの子どもたちにはこんな体験はないかもしれない。 ひと針ひと針 時を刻む行為にも似て夢中になった。(中馬泰文) ![]() 左から、中馬先生、林先生、木村先生(展覧会最終日) ………………………………………………………………………………… 陶説 7 July 2021 No.818 (日本陶磁協会)に掲載された展評 関西の陶芸展 3 ギャラリー揺(京都市左京区銀閣寺前町)5月18日~30日 group93/81/72展 二桁の数字が三つ並んだ不思議な名称の展覧会は、出品作家の三名の年齢を表している。陶芸の林康夫、平面(素描)の中馬泰文、版画の木村秀樹の三人展で、企画構成はサンケイ新聞の記者であった高橋亨による。このメンバーで既に同ギャラリーで八回目の展覧会となる。 二〇〇五年にオープンしたこのギャラリーは、銀閣寺・哲学の道に近く、もともと個人の住宅であった和室や板間のある家屋と庭を生かした作りである。京都らしい風情のあるこうした展示環境そのものが、展示作品をナチュラルに演出する点で、美術館などのいわゆるホワイトキューブとは異なり、作品との親近感が生まれていた。 九十三歳の林康夫の作品は、いずれも「浪江町の景」というシリーズである。東日本大震災の被災地、浪江町を林は三年前に訪れた。その記憶が、今回の作品のベースとなっている。 成形はいずれも板作りである。オブジェ制作に取り組み始めた1940年代の終わりから、一貫して紐作り、手捻りで成形してきた林が、今回タタラを使用したのは、腕の骨折が理由だという。陶芸家ならずとも九十歳代で骨折は、珍しい事ではないかもしれないが、にもかかわらず当然のように制作と発表を続けるこの作家の意志と制作意欲には驚きを覚える。 作品はタタラをやや不規則に構成したものだが、いずれもどこかに内部を覗かせ、それが確かに〈空間〉を感じさせる。住民らしき建物の壁には、そこかしこに〈傷〉のような凹凸が見られるが、これは作家がタタラそのものを作る際、自然に生じたものをそのまま生かしたという。制作のプロセスにおける自然な痕跡が、結果として表現における住宅の傷跡のようになっている。それは、災害の痕跡であると同時に、人々が確かにそこに暮らしていた痕跡でもあろう。傷ゆえに、人間の〈不在〉と〈存在〉を同時に示すのである。 屋根の辺りを切り取ったような作品は、屋根の上部に柔らかな釉薬がかけられており、被災地の人々を想う林の心情を象徴していた。林の過去の作品の中に、震災が起きた日、制作の手が止まり、未完のままとなったものがあるが、林は京都に居て、なお東北の人々を想うのである。 コロナ禍にあって、なお、遠く離れた人々のその後を想う心情が、これらの作品を生み出したのであろう。戦争を美化するつもりは微塵もないが、戦争体験という大きな試練を乗り越えた九十三歳だからこそ作ることのできる世界かもしれない。人は年齢を重ねるにつれ、身体的には様々な支障も出てくるものとは思われるが、作家が、生涯作り続ける意義は確かにある。いずれこの展覧会が、三桁の連続する名称となるまで続くことを期待している。 〔外舘和子 多摩美術大学教授・愛知県立芸術大学客員教授〕 ………………………………………………………………………………… 京都新聞 2021年5月22日(土)美術版 ≪催し・アートスクエア≫ に掲載された記事 林康夫、中馬泰文、木村秀樹の3人展「group93 / 81 / 72」がギャラリー揺(京都市左京区銀閣寺前町)で開催されている=(写真付)。 展覧会タイトルの数字は、3人が今年迎える年齢を表している。陶芸の林は、近年取り組む「東北」シリーズを出品した。東北大震災で被災した福島県浪江町で見た家屋がモチーフ。壁がゆがみ倒壊しそうな家がぽつんと建つ様子に、すさまじさを感じたという。 中馬はシルクスクリーンでボタンを描いた紙に、刺しゅう糸を縫ってステッチを表現した遊び心ある連作。幼時の裁縫の経験から思いついたという。 木村はシルクスクリーンの手法を使ったアクリル画。抽象的に描かれた富士山が版画を思わせる一方、絵の具を何層にも塗って、表面を削る研ぎ出しの技法で色彩に深みを持たせた。30日まで。月休。無料。(京都新聞社・前芝直介) ………………………………………………………………………………… 福島県浪江町は、2011年に東日本大震災で震度6強の揺れと15メートルを超える津波による被害に加えて、福島第一原発事故の影響を受けました。それまでは自然に恵まれ、海と山と川に囲まれて歴史と伝統を大切にしながら2万人余りの人々が暮らしている町でした。被災後の多くの住民は避難し、帰宅困難地域が町内の大半を占め、人口は大幅に減少しました。(2020年3月時点で1100人余りが居住) 展覧会中、「浪江町の景」と身近に接しているうちに、この災害を他人事とは思えなくなりました。 東日本大震災の復興への長い道のり、一日も早い平和な暮らしを祈っています。 今年のgroup展開催に感謝し、また来年の三先生方の御作品の御出品を楽しみにしております。マスク着用で大勢の方々にご来廊頂き、興味深くご高覧くださったことを嬉しく思っております。ありがとうございました。(三橋登美栄)
06/09 14:35 | 展覧会 井澤正憲・澤幸 陶芸展(2021.5.4~16)を終えて
井澤正憲氏は2018年、2019年に弊画廊で元京都造形芸術大学通信教育部陶芸大学院生展に参加出品されました。 そして今年は澤幸氏(井澤幸子さん)とご一緒に、おしどり夫婦の陶芸展開催です。 ![]() 井澤正憲「宝島」 ![]() 井澤正憲「宝島」 ![]() 展覧会場 ![]() 井澤正憲「王国への旅」 切り取られた時間と空間を表現。水路に浮かぶ船に乗って、どこか遠くの未知の王国に旅立つ夢が広がります。水路に着眼される理由として、江戸時代に紀州流土木技術を開発された井沢弥惣兵衛(1663~1738)は井澤さんのご先祖様と伺いました。構築的な濃灰色の側面のマチエールは、歴史を遡って縄文時代が甦ります。 ![]() 井澤正憲「王国への旅」 ![]() 板間に展示 ![]() 夕陽の木漏れ日に乗って王国に旅立。 ![]() 井澤正憲氏は大阪芸術大学専攻科修了後、さらに京都造形芸術大学通信教育部陶芸大学院で陶芸を学ばれました。現在は和歌山県信愛女子短期大学で指導されています。 ![]() 畳の間に展示 ![]() ![]() ![]() 胎児が外の世界に現れる瞬間の緊張を感じます。 ![]() ザラザラとツルツルの相反する表情を合わせ持って、終わりと始まりを表現されたそうです。 ![]() 澤幸「宇宙卵 花器」に庭のヤマボウシあしらい ![]() 澤幸氏は、萩焼陶芸家・三輪休雪(キュウセツ)第12代、兼田昌尚に師事。その後大阪芸術大学工芸学科に進まれました。卒業後は和歌山県海草郡の八幡工房で制作しながら、隣接するカフェ店舗Gallery Hachiを運営されています。もちろん、お店で使われる器類は澤幸さんのオリジナル作品です。このオシャレな空間・ハチラボの人気は口コミで広まり、遠方からも訪れる人達で賑わっているそうです。 ![]() 井澤正憲「宝島」 ![]() 穏やかなムーンフェイスから、胎児の安らぎと安心感が伝わってきます。 ![]() 庭石畳に展示 生命体のエネルギーが庭に広がります。 …………………………………………………………………………………… 京都新聞2021年5月8日(土)美術・ギャラリー 井澤正憲・澤幸展(揺=銀閣寺前町 16日まで 月休)和歌山在住の陶芸家夫婦が2人展を開催。井澤の作品は型作りで、建築的な構造美を放っている。一方澤の作品は岩石のようなかたまりから人間の顔が表出しており、有機的な色合いが濃い。(小吹隆文・美術ライター) …………………………………………………………………………………… 久しぶりの二人展。 やる気に満ちていたが、緊急事態宣言が発令されてしまった。 戸惑い、不安、怒り、諦念、奮起・・・心は日々揺れ動いたが、それは私たちだけではない、 この一年余り皆こんな中でやってきたのだ。 中止したら何かがふっつり切れてしまう。もう続いていかないだろう。そんな気がした。 出来る限り安全対策をしてやれることを精一杯やるしかない。そうして展覧会に臨んだ。 それを受け止めて頂いたギャラリーオーナーには、本当に感謝しかない。(井澤正憲) 知命を過ぎて天名も知らず、一体今まで何をしていたのかと思い返す。 この20余年色々あった筈なのに、まるで一瞬で溶けてしまったアイスクリームみたいに感じ、唖然とする。 何故作るのか、何度も自問自答して来た。 「壊すために作っているかのよう」とも言われた。成熟はいらない。熟練もしない。壊し続けたい。生まれ続けたい。その自由のためだけに全ての代償を払って来たから。 でも人によってしか気づけないことがある。変われないこともある。 今回の出会いでまた新たに一歩踏み出せたら幸いだと思う。(澤幸) …………………………………………………………………………………… 井澤ご夫妻はフットワークが軽いので、つい和歌山在住を忘れてしまいます。お陰で京都と和歌山の距離が縮まりました。その上、お二人の活動範囲は広く話題も豊富なので、次々に新しい計画が盛り上がってきます。今年の秋には海外作家さん達との展覧会開催にまで話が弾みました。引き続き応援させて頂くのを楽しみにしています。(ギャラリー揺 三橋登美栄)
06/08 15:10 | 展覧会 |