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清滝山(湖東地方) 2018.11.8
清滝山(湖東地方) 2018.11.8
第471回「自然と語る会」(参加者14名)
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JR膳所駅8:39→JR米原駅9:40(乗り換え9:56)→JR柏原駅(10:11)≪集合時間より40分近く遅れて到着、ご迷惑をおかけしました。≫→清滝のイブキ・柏槙(ビャクシン)→清龍寺徳源院(11:05)→登山開始→清滝山頂上439m(12:15着)で昼食休憩(12:15~13:10) 下山開始→1時間弱で下山→JR柏原(14:31)→JR醒井→地蔵川(バイカモ)→了徳寺(オハツキイチョウ)→居醒の清水→和caféみやび庵(16:00過ぎまで)→水の駅→JR醒井駅(16:38)→米原駅(乗り換え16:47)→石山駅(乗換え)→膳所駅→帰宅
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JR東海道本線柏原(かしわばら)駅のあたりを中心に、かつて柏原宿が広がっていました。東西13町(約1.5km)にもおよぶ中山道の中でも大規模な宿場町で、344軒の家があったと伝えられていますが、現在では、常夜灯や街道沿いの宿場町特有の2階建の軒の低い数軒の家が面影を伝えています。京から江戸へ向かう場合、柏原の宿から東へ近江(おうみ)の国と美濃(みの)の国の境にかけて長久寺(ちょうきゅうじ)、今須の宿をへて常磐(ときわ)御前の墓、不破関(ふわのせき)、関ヶ原と続いていました。また、柏原宿は伊吹もぐさの産地として有名で、「木曽路名所図会」にも紹介されています。昔は多くのもぐさを商う店が街道沿いに軒を並べていましたが、現在はいぶしがかった落ち着いた構えの店が一軒残るだけです。看板や店内の大きな福助人形をみても、もぐさを買い求める多くの旅人で繁盛していたことがうかがえます。

CIMG9945.jpg CIMG0032.jpg 栢原宿歴史館

清滝のイブキ 樹種:柏槙(ビャクシン) 滋賀県指定自然記念物
イブキには主幹に空洞が見られ、枯れた枝もありますが、曲がりくねった幹とくねくねと伸びた多くの枝が大きく広がっています。伝説では京極氏が伊吹山の城館から苗木を投げたところ、落ちたところを墓所に定めた伝説があり、その苗木が生長したのがこのイブキであるといわれています。

CIMG9972.jpg 道誉桜 

CIMG9974.jpg 三重塔
清龍寺徳源院は宇多源氏の流れをくみ、中世に近江北部を領した佐々木京極氏の菩提寺です。佐々木京極氏は、五世高氏(道譽)が足利尊氏の下で活躍したことにより栄えました。

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今から登る清滝山 山頂にNHKの電波塔が見えます。

CIMG9950.jpg ヨメナ CIMG9954.jpg クロガネモチ

CIMG9967.jpgツリガネニンジンCIMG9988.jpg山の柿

清滝山頂上からの展望は開けていて、今日は天気にも恵まれてとても素晴らしいです。

CIMG9992.jpg 霊仙山(写真の右奥)
霊仙山は、鈴鹿山脈の北端に位置し、石灰岩からなる山で、頂上では360度のパノラマが広がり、琵琶湖や伊吹山はもちろん、白山や伊勢湾、時にはアルプスの山々までも見渡すことができます。花も多く、田中澄江の「花の百名山」にもあげられ、早春のフクジュソウから、ミスミソウ、ニリンソウ、ヤマシャクヤク、イブキトリカブトなどを求めて多くの登山者が訪れます。

CIMG0003.jpg伊吹山
伊吹山は滋賀県の最高峰(標高約1377m)。日本百名山のひとつで、どっしりと構えた山容は男性的と言われています。岐阜県との境界をなし、山頂からは眼下に琵琶湖、比良、比叡の山々や日本アルプス、伊勢湾まで一望の大パノラマが広がります。古くは『古事記』や『日本書記』にその名が記され、日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説にも登場する歴史的な山で、古来より著名な薬草や亜高山植物、野鳥、昆虫の宝庫としても有名です。
山頂のお花畑は、国の天然記念物に指定されています。
 
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伊吹山を眺めながら手弁当を味わう皆さんの背中が暖かそうです。昼食後に大西さんからサルナシの実とマタタビの実を頂きました。

マタタビといえば猫の大好物、猫の万病薬として、下痢をした時、なんとなく元気がない時などによく用いられます。マタタビの実の大きさは3cmほどで山の湿り気のある場所に自生しています。マタタビアブラムシが花の中に寄生した果実は、亀の甲の様な姿をしたデコボコの虫こぶ果になります。漢方では、熱湯殺虫してから天日乾燥させた虫えい果を「木天蔘(もくてんりょう)」と呼び利用されています。虫えい果の方がマタタビとしての効能があることが知られていて、猫が好むのもそうです。
猫に効果のある成分は、疲れた旅人が、マタタビの果実を食べたところ、再び旅を続けることが出来るようになったということで、「又旅」から名付けられたとの説もあります。完熟した果実は、コクワの実に似た爽やかな酸味と甘みがあります。キウイフルーツと同様の小さな黒い種が独特のつぶつぶ感を演出します。マタタビはマタタビ科マタタビ属に属し、キウイフルーツも同じ属に属するそうです。
サルナシもキウィフルーツと同じで、マタタビ科に属する落葉性のつる植物です。サルナシは果実の形が梨に似ていて、猿が好物だということから『サルナシ』と呼ばれています。また果実は『コクワ』とも呼ばれます。自然の果実の中でも特に味が良く、あまり見つけられない事から『幻の珍果』と評価する人もいるそうです。海外では『ベビーキウイ』や『キウイベリー』と呼ばれ、栄養価が非常に高いことからスーパーフルーツのひとつとして有名です。味はキウイフルーツよりも香りが強く、微かな酸味と甘みがあります。キウイフルーツをぎゅっと濃縮したような味です。
初めて口にする貴重な珍味は美味しくて大変豊富な栄養素が詰まっていると聞きました。元気を取り戻して、来た道とは反対方向の山道から下山しました。

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約1時間弱かけて、歩きやすい山道と整備された階段を降りて、山の麓に戻ってきました。 

CIMG0013.jpg 茶の花CIMG0017.jpgシオデ

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ヒヨドリジョウゴの赤い実が透き通っています。

CIMG0054.jpg CIMG0051.jpgオハツキイチョウ
醒井 了徳寺の境内に、周囲の家並みを圧して、ひときわ高くそびえるオハツキイチョウは、幹囲約2.5m、高さ約20m、樹齢約200年。オハツキイチョウは、他のイチョウに比べて葉柄がやや細長く、葉の縁に種子を付けるのが特徴です。毎年8月から11月上旬頃に数多くの実を付けますが、その一部は、葉の面になります。発育は不完全な物が多く、小型で楕円形、普通のものと著しく異なっています。数は多いもので5個、おおむね1、2個で、葉脈が次第に太くなり、先端のところに形作られます。これは、化石から出土するイチョウとよく似ており、先祖返りと考えられます。昔から「花も咲かずに実のなる木」と、付近の人に不思議がられていますが、花が枝や葉の一部だという学説を裏付けるものです。イチョウは、全国の神社や仏閣に植えられ、一般に親しみ深いものですが、この種のものは珍しく、昭和4年(1929)に国の天然記念物になっています。

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地蔵川のバイカモと桜の葉
醒井 地蔵川は、居醒の清水などから湧き出る清水によってできた川で、大変珍しい水中花「梅花藻(バイカモ)」で有名です。水温は年間を通じて14℃前後と安定しており、貴重な淡水魚である「ハリヨ」も生息しています。また、「居醒の清水(いさめのしみず)」は、平成20年6月「平成の名水百選」(環境省)にも選ばれています。
CIMG0075.jpg ハリヨ

自然と語る会の活動には2か月ぶり、9月の武庫川渓谷以来の参加です。今日は盛り沢山、収穫の多い一日を楽しく過ごすことができて感謝しています。ありがとうございました。


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11/14 17:53 | 山歩き
宮本ルリ子展(2018.10.23~11.4)を終えて
宮本ルリ子展(2018.10.23~11.4)を終えて

当画廊で初めての宮本ルリ子展「日本と中国の協同制作 2018」

≪京を創る 黒谷 金戒光明寺≫(1998年)で宮本さんの作品「Time Less Rosary」を拝見。チラシに『3000年にこの珠を手にした方ご連絡下さい。』と記載されていたので、セラミックスの人工石ころ「珠」を夫と1個ずつ持ち帰りました。 黒谷の境内に設置された数珠の全形を思い浮かべながら、「珠」は当画廊の棚で文鎮として役立っています。あと980年余り先に『それらを再び一つにします。これは、現実と夢・幻想と真実が交錯する、時を超えた旅物語なのです。』ともチラシに記載されていました。20年も前の私の記憶が、今ここに蘇ってきました。

≪展示作品≫
1 「無題」     
2 「王墓」 数か所の古墳付近の土 | 秦始皇帝陵遺址付近の土
3 「空海」 高野山の土、小石 | 清龍時の土、灰
4 「京」 御所付近の土、植物 | 西安(長安)の土、灰
5 「日中戦争 第二次世界大戦」 広島・長崎の土、川砂、植物 | 南京の土、小石
6 「海」 海砂、海水、貝
7 「印章」 全ての収集、提供品を焼着付けた印章 富村陶芸村と信楽の陶器粉も含有

PA250022.jpg 展覧会場(昼間)

PA250024.jpg 展覧会場(夕方)

PA250049.jpg 展覧会場(夜間)

PA250057.jpg 作品「王墓」

PA250059.jpg 作品「空海」

PA210081.jpg 作品「京」

PA250064.jpg 作品「日中戦争 第二次世界大戦」

PA250065.jpg 作品「海」

PA250067.jpg 作品「無題」

PA250050.jpg 展覧会場 室内から庭を望む(夜間)

PA250013.jpg 作品「印章」 
 
PA280088.jpg 宮本ルリ子さん   

宮本ルリ子 略歴
1963 岡山県に生まれる
1985 大阪芸術大学工芸科卒業
1987 多摩美術大学大学院美術研究科終了
1987~89 青年海外協力隊参加(陶磁器隊員としてフィリピンのパンガシナン州立大学にて2年間活動)
1990 財団法人滋賀県陶芸の森 創作研究科 指導員(2002年主査)
2003年 財団法人滋賀県陶芸の森 退職 独立
個展、グループ展多数、国内外で活躍中

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京都新聞2018年10月27日朝刊(美術欄)掲載記事
宮本ルリ子展(揺=銀閣寺前町 4日まで 月休)日本と中国の協同制作で、両国各地の土や砂、海水などを信楽透土に焼き込み、見開きの本に見立てて歴史的なつながりや両国の関係を表現。下からの光でほのかに関連のモチーフが透けて見え、長い年月にわたる交流や蓄積が思われる。(加須屋明子・京都市立芸術大教授)

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ギャラリー揺 展を終えて

本展は掃き清められた庭に落ち葉が舞う、少しひんやりとした空気と静寂の中での展示となりました。午後5時近くになるとうす暗がりの中で、信楽透器がぼんやりと発光して、和の空間が作品を引き立ててくれました。

「日本と中国の協同制作」は2013年にアメリカ人のキャサリン・サンドナスさんと取り組んだ「日本とアメリカの協同制作」を発展したものとなりました。歴史的な場から収集した土などを信楽透土に焼き込み、歴史を通しての断片を共有した作品です。思い返せば、先の作品では2011年の東日本大震災が大きく影響していて、原子力は作品を構成する骨格の一つでもありました。

今回の作品を制作することになったきっかけは、2017年に中国西安から北に車で1時間程度行ったところにある富平陶芸村(富楽国際陶芸博物館群)から滞在制作依頼があったことです。ここは中国初の現代陶芸をテーマとする陶芸博物館で、私は建築予定の日本館に展示する作品制作のため行くことになりました。中国での協同制作を意識したのはこの依頼を受け入れた時からです。「日本館」ということもありますが、協同制作がもっと広がっても良いのではないかと感じたからです。富平は西安(長安)に近い場所ということもあり日本との歴史的な繋がりを考えました。それが「空海」「京」というテーマの作品になりました。また、秦始皇帝陵、兵馬俑坑が近くにあったことから、お互いの国の代表的なやきもの文化である兵馬俑と埴輪の「戦士」のイメージを使った作品が生まれました。

二つの国を考える時、未解決な部分があるからこそどうしても外せなかった場所が「南京」です。中国のアーティストとがっぷり四つに組んで制作できた訳ではないのですが、南京在住の現代陶芸作家の陸斌氏や李雨花氏の協力のもと彼らの学生たちが土の収集に協力をしてくれ完成させることができました。

富平でつくったものは全て寄贈しなくてはならなかったため、現地の土を素焼きして国内に持ち帰り、今回の展覧会用に再制作をしました。また、新たに「海」というタイトルで海水、海砂、貝を使った新作を加えています。現在の日中関係を見つめて海域をテーマとした作品です。

展示を見に来てくださった全盲の知人が作品を触って、その感想を伝えてくれました。『実は私の両親も幼いころ親に連れられて中国に住んでいて、そのころの話を聞いたことがありました。日本の侵略戦争は他人事でないだけに、日本と中国のことは考えずにそっとしておきたい気持ちがありました。宮本さんの繊細な陶の本に触れて私の心の結界が揺らぎ始めた気がしました。大切な作品に触らせていただき、本当にありがとうございました。』

前作時には福島いわき市在住の方が、海砂と花、貝といった提供物と共にメッセージを添えてくださっていました。そこには『復興途上のいわきの思いを、亡くなった方々の御霊と共に是非作品に移入してください。』とありました。そんな思いが今回の作品にも込められていればと願っていたので心に染みる言葉でした。

振り返ってみれば、この作品を構成する大きな骨格は「争い」と「共鳴」だったのではないかと思っています。「共鳴」という表現が適切であるかどうかはわかりませんが、「争い」が領域を侵す、侵されるといった分離感から生じるとしたら、共鳴には境界が揺らいでなくなっていくイメージがあります。「結界が揺らぐ」とは、自分を守るために周りと区別するその境が揺らぐことです。そして、それは個が開かれないと起こらないものではないのかと、ギャラリー揺での空間は内面を静寂に誘い、微妙な揺らぎをもたらすことのできる場であったと感じています。(宮本ルリ子)

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光を通す信楽透土を使った宮本さんの作品は、時間によって天候によって絶えず変化し続けて、見る者に何かを訴える強いメッセージを感じました。「日本と中国の歴史的な場の断片を共有することは、何を意味するのでしょうか。」と鑑賞者に問われた展覧会です。

歴史は私たちに何を教えてくれるのでしょうか。
歴史上には多くの失敗が登場します。失敗のたびに人間は何かを学び、修正してきました。それを未来に繋げるのが今の私たちの使命だと思います。

歴史学では史料を提示し、さらにその史料が信頼できるものなのかを判断します。現代の時事問題に対しても「この報道の根拠は何なのか」「その根拠は信頼できるのか」といった批判的な姿勢が大切です。例えば「尖閣諸島は文献的にも日本固有の領土である」という主張していますが、「それはいつの時代の、何という文献の情報で、それは誰によって書かれたのか」とか「近隣諸国に伝わる文献には何が書かれているのか」という発想を政治思想に関わらず、中立的に考えることが重要だそうです。

考える機会を与えられたこの展覧会をきっかけに、「知らなかったとか、無関心だった」で終わらせずに、今ここに展開しているこの状況を把握して、新しい認識を生み出したいものです。

宮本さんが当画廊を「争いの結界が揺らぐ」空間にできる場であると感じてくださったことを嬉しく思います。良い展覧会をありがとうございました。(三橋登美栄)


11/14 15:08 | 展覧会
新井九紀子展(2018.10.16~21)を終えて
新井九紀子展(2018.10.16~21)を終えて

当画廊で初めての新井九紀子展「ことばの肖像。」
たぶん2年位前に夫が新井さんにお声かけてしたご縁で、開催させていただきました。
夫が企画した最後の展覧会です。

≪展示作品≫
1 未生への透視図 58.0×58.0cm パネル 2016年  
2 遊行 弐 39.1×64.5cm パネル 2018年 西行和歌
3 秋篠月清集 68.4×51.5cm パネル 2018年 藤原良経「秋篠月清集」
4 遊行 壱 31.7×44.0cm パネル2018年 西行和歌
5 麗はしき距離 15.0×25.0cm 額 2017年 吉田一穂「母」
6 霧のにほひ 63.0×19.0cm パネル 2018年
7 星宿 103.0×7.5cm パネル 2018年
8 意識ある蛋白質 75.0×42.5cm パネル2017年 宮沢賢治「青森挽歌」
9 アリス狩り 68.4×51.8cm パネル2018年「不思議の国のアリス」ルイス・キャロル
10 銀河の序 11.5×24.0cm 額 2016年 芭蕉「銀河の序」
11 たとえば 66.0×51.5cm パネル 2018年
12 水中花 64.0×66.5cm アクリル 2006年 伊東静雄「水中花」
(「水中花」は恩田陸著「六月の夜と昼のあわいに」の装丁になる)

PA160004.jpg ギャラリー揺 受付

PA160005 (2) 作品「未生への透視図」

PA190008.jpg  展覧会場

PA210061.jpg  作品「游行 弐」

PA190033.jpg 作品「秋篠月清集」

PA210066.jpg 作品「游行 壱」

CIMG9932.jpg  展覧会場

PA190057.jpg  作品「水中花」

PA210067 (2)  作品「麗はしき距離」

PA190052.jpg 庭石に本

PA190027.jpg 新井九紀子氏

PA210070.jpg 木漏れ日に本
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新井九紀子 略歴
1996〜2018 個展20回(京都・東京・ロンドン)
1994 二人展(ウィーン)
2002 日・仏現代作家展(東京・パリ)
2003 吉原治良賞コンクール展(大阪)
     さかいでARTグランプリ賞展(坂出)
2004 プリンツ21グランプリ賞展(東京)
     日本アートアカデミー賞展(東京・大阪・福岡)
2005 サロン・ドトンヌ展(パリ) サリュ展(パリ)
2007〜 書と非書の際展

作品集「ことばの肖像」vol.1 ~ 5 発刊

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京都新聞2018年10月20日朝刊(美術欄)掲載記事
新井九紀子展(揺=銀閣寺前町 21日まで)墨と和紙を素材に、詩や句、文学の言葉を着想とした書画。抽象絵画のような画面に文字は見えないが、繊細な線や墨の濃淡を通じ、言葉の気配が立ち上がる。 (平田剛志・美術評論家)
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新聞記事は他、朝日新聞10月4日、読売新聞10月13日にも紹介される。
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ギャラリー揺と三橋實さん
個展会場にそっと現れて、黙って作品をご覧になり、三橋実と署名して帰られるということが何度かあって、2016年にギャラリー揺でも展覧会をしていただけないかとの打診の手紙をいただいて、2018年にということになった。2017年の展には病を押して観に来て下さったのだが、今年(2018)ギャラリー揺での展には三橋實さんは彼岸にあつて、直接お話しすることが出来なくなっていた。それでも、会期中自然と一体化したようなギャラリー揺の空間にいると、閑かな三橋實さんの眼差しを不思議と感じるのであった。小林秀雄風に言えば逝った人は確固として胸に在るからだろう。
そのような縁があって、いまおひとりで画廊を継続してられる登美栄さんとは話しが弾んだ。登美栄さんの心に残る本として「abさんご」を上げられ、未読だったのでお借りした。その中の文に、死者が帰ってくる時のしるべにつるす灯り入れは「たましいぐらいに半透明に、たましいぐらいの涼しさをゆれたゆたわせた.」という文を読む。
詩人や作家たちによって紡がれた言葉の美しさに魅かれて作品を創っている私はここにまた魂を震撼させることばに出逢ったのである。(新井九紀子)
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心に響く言葉を選んで思索を重ね、和紙の上に文字ではない形象が表れる瞬間、またその形象が表れる前を追体験したくなりました。伝統的な書道から距離を置いて、文字からの束縛を解き、現代美術への移行。厳しくて自由な異次元に向かわれる新井さんの強さに脱帽です。秋の夜長に、今展の作品に引用された「銀河の序」か「六月の夜と昼のあわいに」を読んでみたいと思っています。(三橋登美栄)


11/05 12:48 | 展覧会
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