美術作家 三橋登美栄
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田井昭江展 ―おはなまいり― (2017.6.13~6.18)を終えて
京都精華大学大学院生陶芸専攻2回生の田井昭江さん初個展が開催されました。 「おはなまいり」って「お花参り」で、「お墓参り」のことです。大切な人とお別れしても「お花を持って来たよ~」と明るくお参りに行けたらいいです。 ![]() 作品「さんかく花入」に庭のトサミズキを生けて、ギャラリー入口でお迎えしました。 ![]() 展覧会場 …………………………………………………………………………………………….. 京都新聞(朝刊)美術欄 ギャラリー掲載記事(2017.6.17) ポップな色、形をしたやきもののオブジェがお花畑のように並んでいる。一見、気の向くままに作られたように見えるが、聞けば古墳時代のやきもの、須恵器をモデルにしているという。須恵器は古墳時代、祭器や副葬品として用いられ、日本の陶磁器の歴史の中で抜きんでてユニークな姿が多いやきものだ。もとより不思議なその須恵器の形を、田井昭江はかわいいオブジェへと変容させる。 たとえば、須恵器には小さな器がいくつも載っている子持器台というものがあるが、このちいさな器の部分をアオイの花に置き換えて花束のようなオブジェにメタモルフォーゼ(変身)させた作品。松の木が壺に変身したような作品は筒状の突起のある須恵器の壺から発想したもので、突起を松の枝に壺の本体を幹に見立てた。壺の上には鶴が休んでいる。博物館で見たことのある須恵器のイメージが歌って踊りだしたかのようだ。 古墳から出土した骨壺の形をかたどった白い壺の作品もある。この内側には装飾古墳の文様を写して描かれていて、鮮やかな色彩はキルトのようだ。造形は写実的で生々しく色釉(ゆう)で描いた色には潤いがある。施された繊細な透かし彫りも華やかだ。禁欲的な無釉の須恵器のイメージを気にしない、こうした技法の選択も面白い。 京都精華大で陶芸を学ぶ田井は、土をスライスして焼いたオブジェや中空のない茶器のような作品でコンセプチュアルな表現を模索してきた。今展は葬送の道具として用いられた須恵器を、吉祥を象徴する動物や植物のモチーフを使ってめでたいものに反転させるコンセプトがあった。 古いやきのもにオマージュを捧げ制作された陶芸作品は数多いが、田井は「同じやきもの」という縁を頼りに古墳時代の器型を訪ね、須恵器を相手に会話を弾ませ、オリジナルな作品へと飛躍させてみせた。(揺=銀閣寺道18日まで)(沢田眉香子・著述家) ![]() 窯焼きの時に割れた破片は、立派な大皿に見立てて展示。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 陶板と真田紐で作られた簾が架かると「躙り口」になり、畳の間はお茶室の設えです。 ………………………………………………………………………………. 城南新報 掲載記事(2017.6.11) まちのキラ☆星 土から誕生 情熱アート 久御山在住・京都精華大院生 家庭にあるようやモモやザクロといった果物など、見慣れた形に独自の世界観と個性豊かな発想を加え、アートに昇華させる。かつて、専ら「お皿」のイメージだった陶芸を京都精華大と同大学院で専攻し、幅広い表現に情熱を燃やしてきた。その成果を、初めて開く個展でお披露目する。 久御山町立佐山小学校時代の好きな教科は図工。叔母から言われたことを今でも覚えている。「好きなことは早く見つけた方が良い」。5年生の時から芸術系の進路を志望した。久御山中学校での3年間、伏見区の画塾に週2日通い、デッサンや水彩を学んできた。 絵が好きな少女と陶芸との出会いは、京都市立銅駝美術工芸高校に入学後。授業の一環で受講し、土に触れた。その面白さに心を動かされ、2年生時から専門に。皿とはまた違った立体物への関心が高まった。京都精華大学の陶芸コースに進学し、ますます制作意欲が膨らんだ。 「触ったことのない素材の感覚。土を押したら思いもよらない方向に動いたり・・・。こんな風に動くんだ」。ろくろを使って制作し始めた時のことを振り返り、笑みをこぼす。 大学・大学院で陶芸の考え方から制作方法まで学んできた。24歳。大学院2年生で、今年度が「有終の美」。 個展には「吉祥土器群」と題したシリーズ作のモモをかたどった器台などをはじめ、壁掛け式の花器、壺、マグカップなど30数点を出展する予定。吉祥土器群は、古墳に埋葬された須恵器の中に、一風変わった特殊な器種も見つかっていることに着想を得て、墓と正反対のイメージの吉祥との掛け合わせを思いついた。 初の個展は楽しみでもあり、来場者の反応がどうか不安も。会場は和室とフローリングの双方あり、「展示している物だけでなく、展示風景も楽しんでほしい」と期待する。 陶芸の魅力について「窯から出した時、思いもよらない変化が見られること」と話す。思いを込めた作品が並んだ会場で、人と人との出会いから、思いがけない何か新たなものが生まれそうだ。 ![]() ![]() ![]() ………………………………………………………………………………. 洛南タイムス 掲載記事(2017.6.16) 土器への“オマージュ” 陶芸で表現 久御山町 田井昭江さん初の個展開催 久御山町在住の大学院生、田井昭江さん(24)が、京都市内のギャラリーで初めての個展を開いている。これまでの制作活動の「集大成」を憧れの空間に広げ、「多くの人に見てもらいたい」と話している。今月18日まで。(盛川振一郎) 田井さんが個展を開いているギャラリー揺は、京都市内の今出川通りから銀閣寺参道に入る手前を、1本路地に入ったところにある。表通りの喧騒から逃れ、吹き抜ける風が心地よい。フローリングと畳の2部屋には、田井さんがこの日のために制作した陶芸作品30点を展示している。 作品のモチーフは「古墳時代の出土品(土器)」。太古の昔から人々の生活に寄り添ってきた「土」に着目し、「何かヒントを得られないか」と思案を巡らせた。これをベースに「吉祥文様」を組み合わせ、独特の作品に仕上げた。それぞれの作品がかもし出す雰囲気が、ギャラリーの空間と絶妙に絡み合い、ちょっとした“異空間”が広がっている。 数ある作品の中で一番の自信作は、個展に出展する作品の中で、最初に作ったものだ。モモの実と葉、花で、脚付きの皿「高坏」を表現している。「古墳から出土した高坏の中に、脚に三角形の穴が開いて、向こう側が見えるようになっているものがあった。これを、身近にあるもので表現したら面白いかもと思った」という。田井さんは「土器って、つぼみたいなものしかないと思っていた。けれど、調べれば調べるほど、さまざまな種類の土器があることを知った。“オマージュ”みたいになるのかな」と自身の作品を振り返っていた。 「精巧な形より、面白い形になればいいなと思っている」と話す田井さんは窯焼きの過程で割れてしまったものでさえ「作品」に変えてしまう。緑が爽やかなギャラリー庭の石畳には、割れた小つぼの破片をサークル状に並べた。「ひとつとして同じ形は存在しない。割れてしまっても、それはそれでいいのかな」と笑顔で話していた。 田井さんは、生まれも育ちも久御山町。陶芸との出会いは、京都市立銅駝美術工芸高校に進学した時。もともと絵を描くのが好きで、小学5年ぐらいから、芸術の道に進もうと進路を決めていたそう。高校の授業で初めて土を触り「なんて面白いんだろう」と心を動かされたという。その後は京都精華大学の陶芸コースに進み、現在は修士課程で制作活動を続けている。 田井さんにとり、今回は初めての個展だが、同時にこれまでの「集大成」を披露する場でもある。「2年前、先輩の個展を見て『絶対にこのギャラリーで個展を開きたい』と思っていた場所で、いま自分が個展を開いている。物として作品を見てもらいたいのはもちろん、ギャラリーが持つ雰囲気を含めた『空間』も楽しんでほしい」と話していた。 …………………………………………………………………………………………………………….. ![]() 窯焼きの時に割れた破片を円形に並べたインスタレーション。 ![]() ![]() ![]() 3紙の新聞に写真入り記事で初個展を掲載して頂いてからは「新聞見て、展覧会を観に来たよ~」と来廊者も多くなり1週間で閉じるのは勿体ないくらいでした。 田井さんは6日間和服で在廊。私は帯の結び方を教わり今年の夏は浴衣を着てみようと思っています。田井さんの今後の作品を楽しみにしています。どうぞご活躍ください。(三橋登美栄) スポンサーサイト
06/21 07:59 | 展覧会 石埼朝子展 ―包まれる形― (2017.5.30~6.11)を終えて
石埼朝子展はアートライフみつはしで3回開催。それから3年後、アートライフみつはしとギャラリー揺の2会場同時開催の4回目展覧会となりました。 細長く切った紙をひねり、紐状にしたものが紙縒り(コヨリ)です。その紙縒りを縦糸に、銅線やアルミ箔を緯糸に織っている織物作品です。その織り方は紗織り(シャオリ)で絞り織りの一種で、2本の縦糸でからめた織り方で、織目の開いたものです。全て同じテクニックで作られています。織り上がった時は平面ですが、不思議にも立体作品に仕上がります。 ![]() ![]() 壁に掛けても、棚に置いても、ケースに入れることもできます。 ![]() しなやかなピアノ線で形作られているので、展示スペースに合わせて好きな形に変形できます。 ![]() 6月と言えば、襖を取り払い葦障子や簾(スダレ)にかけ替えて夏支度をします。 天井近くから掛けられた白い紗の作品は、板間と畳の間を仕切る簾のようで、うっすらと向こう側に作品が透けて見えます。鑑賞者は「入っても良いですか?」と気づかわれるくらい美しい空間が生まれました。 ![]() ![]() 作品の動きで板間から畳の間へと繋がります ![]() ![]() ![]() ![]() 雨上がりの樹々の緑の中で、作品の白が際立って輝いています。 ![]() ![]() ![]() ![]() アートライフみつはしで展示の作品 ![]() ……………………………………………………………………………………………. 石崎朝子略歴 1947年、青森県弘前市に生まれる。京都教育大学特修美術工芸科卒業。1970~2005年まで、主にテキスタイルの表現に関する教育に従事。1978年より、京都・大阪・神戸・東京・弘前など各地で個展を開催。また1992年のスイス・ローザンヌビエンナーレを皮切りに、フランス、イギリス、イタリア、オーストリア、スウェーデンなどのグループ展に出品。 …………………………………………………………………………………………… 石埼さんは生徒さん達の憧れの的の先生だったようです。40年前の卒業生さん達も連れだって来られて懐かしそうに思い出話をされていました。また同じジャンルの大先輩から若い後輩まで多くの方々がご来廊。遠くスェーデンから、カナダから、日本各地遠方から来られて連日賑わい、笑顔を絶やさず、暖かくお迎えされていました。作品に関しては、織り始めと終りを大切に、計画的・合理的に制作されます。華やかさの中に芯の強さを秘めた作品はとても魅力的です。石崎さんは「これらの作品は気に入ってるの。そして展覧会は今回が最後。」と笑いながらさらりと言われますが、まだまだ制作されると思います。今後もご活躍ください。楽しみにしています。(三橋登美栄)
06/11 23:01 | 展覧会 むらたちひろ展 ― internal works / 水面にしみる舟底― (2017.5.16~28)を終えて
今展タイトルに添えた[ internal works ]は、「染める・染まる」ということが物理的な現象だけでなく、精神的な意味での現象・行為であると解釈し、〈本質的な・内在的な・体内の〉というニュアンスを含む[ internal ]という語を用いた造語です。一度手元に引き寄せたものを遠ざけていくような制作プロセスですが、「染める・染まる」という“現象”を用いることで、「確かに在るもの」としてイメージを物質に託している感覚があります。(むらたちひろ) ![]() ![]() 今回の制作は身近な風景を撮影することからはじまりました。その画像データをインクジェット捺染によって布の片面にプリントし、プリントしていない面を表面として、そちらに部分的に水を与えると、裏面にプリントされた像が滲みながら浮かびあがります。そうして実在の景色は、滲んだり、透過したり、変容した状態でしか見ることができない図像として定着されます。 風景を写真に、写真をデータに、データを染料に、染料を浸透によって布という物質に変容させる。この複雑な工程を経て描き出した図像は、私にとって記憶の断片や、肉体を失ってもなお感じる人の存在といった、「確かに在るけれどもふれることができない存在」、あるいは身近でありながら完全には分かち合えない「他者の痛みやよろこび」と似て、少し遠い位置に属したものになります。 そうした、手が届かないはがゆさ、どうしようもなく追い求めてしまう切なさ、分からなさへの不安は、他者と接する上で生じる摩擦であり、その不合理さがいかにも人間らしく、作品に留めておきたいと思いました。(むらたちひろ) ![]() ![]() 和室の文机の上に、文章を認めた紙が静かに置かれています。 『この季節になると、近所のお家にきれいな赤い薔薇が咲いていた。 小さな門に薔薇のためのアーチがかかっていて、水やりの霧に降られて驚くこともあったが、それは自動的に噴霧されていたようで、そこに家主の姿を見たことはなかった。 その薔薇が雑草群に取って代わられ、急に家が生気を失ったと思って 間もなく、すべては隣の建物と共に解体された。 そして、近所の大きなマンションに並ぶ、大きなマンションになった。 幼い頃の記憶にある薔薇の家は、もうアーチの向こうが思い出せない。きっちり角ばった石の門柱がふたつ、その上に架かる瑞々しい緑と赤。 それだけが在る。』(むらたちひろ) ![]() ロウケツ染や型染の応用技法により、一度染めあげた図像を水でにじませることで、日々移り変わる心象風景や、自身を取り巻く世界に対する違和感を表現した絵画作品として発表。近年は染めた布をカーテンやベッドカバー、部屋の間仕切りに仕立て、生活空間を想起させるインスタレーション作品に展開。現在は「染める・染まる」という行為・現象の精神的作用に着目している。染めて染められることの幸と不幸は常に表裏一体の関係にあるものなのかもしれないけれど、私は幸福な作用があることを信じて「染める」を行なう。(むらたちひろ) ……………………………………………………………………………………………………….. 京都新聞2017年5月20日朝刊(美術欄)掲載記事 むらたちひろ展 布地の裏に写真を左右反転にプリントし、水でイメージをにじませた染色作品。私たちが見るのは布なのか写真なのか。水でにじんだ写真はイメージが揺らぎ、曖昧な記憶を発色させる。(平田剛志・美術評論家) ……………………………………………………………………………………………………….. 鑑賞者は先ず、インクジェットプリントの裏側に水を置いて滲み出した濃い色の部分に目が留まり、次に滲んでいない薄い画像の部分に目が走ります。その余白のような不確かなイメージの中に自分の過去が表れて、今までの思い出と重なります。 落ち着かない風景なのにどこか懐かしい。よく知っている好きな花なのになぜか思い出せなくてもどかしい。以前住んでいた家の片隅の小さな石ころだけを断片的に覚えている。全然知らない人なのに気が合うことを知っている。知っている感情なのに初めてだと言う。などなど日々の不条理な思い出が蘇ると同時に、作品との共通点を捜し当てて納得しながら、不安感や焦燥感と共に自分史物語を創作し始めます。過去の出来事が、現在を追い越して未来に向かう面白さを味わいました。 揺でのむらたさんの新作発表を楽しませて頂きました。今後どのように展開されるか、更なる新作を期待しています。これからもどうぞご活躍ください。(三橋登美栄)
06/06 09:42 | 展覧会 |