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平井秀展(2015.3.3~15)を終えて
平井秀展(2015.3.3~15)を終えて

平井秀さんが京都精華大学で陶芸を学んでいる時に、華道・嵯峨御流に興味を持たれたことが大きなきっかけとなって、一人二役の陶芸と華道の初個展が開催されました。

《展示作品》花器19点、灯り(灯篭)2点、水盤5点、酒桝3点、茶埦3点、総計31点。
《生け花》会期中に生け直しを3回。花材は平井さん宅の白椿、白梅、松、他と、花屋の白木蓮、バナナ、バラ、ドラセナ、リュウゼツラン、バンダ、他。

「密教寺院、特に奈良の新薬師寺所蔵の国宝十二神将像・伐祈羅(バサラ)大将の妖しい美しさに魅かれる」と平井さんから伺いました。花器のイメージは密教法具に繋がります。密教法具とは密教で使われる、金剛杵や金剛鈴、前具などの仏具の総称です。

室内展示
展覧会場
   
円環器 華の閣 華の閣
     「円環器」           「華の閣」          「華の閣」
赤土に白化粧(化粧土)して釉薬をかけ、素材を3層のレイヤーにして効果的に模様を表現。

華の閣
「華の閣」
釉薬の濃淡によって色が変わり、より複雑な模様の表現が可能になります。

金剛杵型花器
「金剛杵型花器」
密教法具の金剛杵は、古代インドでは帝釈天などが手にする武器でしたが、密教に取り入れられ、人間の心の中の煩悩を打ち砕く、仏の智慧の徳を表す法具として用いられるようになりました。「けん玉のようですね」と来廊者に注目されて話題の作品でした。

貼鋲花器 華の楼閣 華の塔
左側「貼鋲花器」 中央「華の楼閣」 右側「華の塔」に白梅と菊
ロクロで成形した器を組み合わせた後、削り出して形作られています。赤土のきめ細やかな土肌、金属のような光沢や釉薬の濃淡による色彩の差異、発泡してできたブク、釉面の煌めき。そんな陶土と釉薬による効果を模様として描いて完成します。

卒塔婆型花器
「卒塔婆型花器」にバナナとモンステラ
バナナは木のように見えますが多年草です。木のように見える部分は仮茎(または偽茎)と呼ばれ、やわらかい茎が重なり合っています。
バナナの実 バナナの花
大きな花弁に見えるのは苞葉で、果指の部分が本当のバナナの花です。果指一つ一つが一本のバナナに成長し果房がバナナの房になります。自然造形の神秘さ、美しさに感動の思いで覗き込みました。

庭展示
庭展示 「貼紙文水盤」 「緑釉花器」 「灯の社」

灯の社
「灯の社」 雨上がりの苔によく馴染んでいます。

平井秀さん
読書中の平井秀さん

バナナに生け変え 松とバラに生け変え
3回目の生け変えで「鈴型花器」にバナナ。 「華の閣」に松とバラ。

私は生け花に囲まれながら、銀閣慈照寺花道場で江戸時代に生まれた無雙真古流を習っていた頃を思い出しました。花の原点「立花」は水際を美しく藁の束に挿し寺院の阿弥陀さんの方にもお花を手向けて仕上げます。一緒に生きている花々を愛おしく思う気持ちを大切に、恵まれた環境で充実した時間を過ごしました。が現在は、自然界で咲いている花が一番美しいと思うのに、なぜ枝を切って室内に生けたくなるのか理由を捜しています。
私の気持ちとは少し違いますがインターネット検索で見つけた文章の一部を掲載させて頂きます。

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いけばなとは、いけるという行為とは
いけばなの起源は一説として、神の依り代としての木をたて、儀式を行い、五穀豊穣を願うという、神に対する信仰(アミニズム)と日本に仏教が渡来したことによって仏前を荘厳する供華が伝来したこと。この二つがもとになったと言われています。
そんな歴史を持ついけばなの特異性は、ただいけたときの草花自体の美しさだけでなく、「いける」という行為を通して日本人が空間の豊かさを創りだす事にあるのです。野にある草花を建築の内部に持ってきて、花瓶に「挿す」行為は日本以外の国々にも見られた文化ですが、「いける」行為は日本の文化特有のものです。
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いけるとは何かを探求する
「いける」という行為とは、日本民族特有のものです。
「いける」とは「挿す」こととは違い、植物を観察しそのものの生命力を自らの創造力で浮き彫りにすることです。植物の生命力がどこにあるのかということを観察し、発見する力とその生命力を人間の創造力で紡ぎだす力が必要なのです。「いける」という行為は、いけばなの世界だけではなくあらゆるクリエイティブな世界でもこれから大切になっていくものではないでしょうか。
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いけばなの未来を考える
いけばなをするにあたって「植物が好き」というのは過程でしかありません。植物をはじめとする自然に対してどう向き合い、植物を使ってどう表現をするのか。それは人間の創造力にだけ偏り、ひとりよがりな表現になるのではなく、自然のもつ精妙さを人間の力で捉えること。そして自然の力と人間の力が融合し、調和した表現でなければならないと考えています。そんな表現が人々の生活の中に馴染み、建築空間に豊かさを与えることができるいけばなを教えていきたいと思っています。
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参考資料:辻 雄貴 空 間 研究所 » Studio より  http://tsujiyuki.com/contents/studio.htm

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陶芸と華道の展覧会なのに、特に「生け花」に偏ったブログ内容になってしまいました。

今後の平井さんのご活躍を楽しみにしています。

最後は平井秀さんの感想文で締めくくらせて頂きます。

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初個展を終えて
初個展では僕の今考えている試み、表現がギャラリー揺の力を借りて作り出せました。今回の展示では陶に花をいけることでどのような変化が生じるのか、それに期待し、合計で3回の花の生け替えを行いました。期待通りの時もあれば納得のいかないことも多い、手探りの中での生け替え作業でした。しかし、花をいけて展示を見ていく中で自分がこの先どのような方向にむかえばいいのか、その指針が見えてきたような気がします。僕は陶芸作家として花という素材とどう向き合うのか?そんな課題を浮き彫りにしてくれた良い個展だったと思います。ありがとうございました。 (平井秀)


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03/16 10:55 | 展覧会
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