美術作家 三橋登美栄
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野坂岳 2013年4月10日
「自然と語る会」 第362回「野坂岳」に参加(参加者15名) …………………………………………………………………………………………………………. チャーターバス石山駅北口7:30→神領→瀬田東IC→米原JC→賤ヶ岳SA→敦賀IC9:20→少年自然の家(野坂岳登山口)9:45→一の岳→二の岳(標高820m)手前12:30で昼食→往路を下山→登山口15:00→道の駅・追坂峠16:00→海津大崎→木ノ本IC16:45→瀬田東IC18:00→神領→石山駅18:20 …………………………………………………………………………………………………………. ![]() アイビー・ヘデラの実 ≪語る会の竹内さんが神領の空き地で発見!≫ 『アイビーも花を咲かせ実をつけます。アイビー(ヘデラ)には園芸品種と野生種があります。園芸品種には花の咲くものは僅かです。こちらは皆挿し木で増やします。野生種は花を咲かせるものが多く、種で増えますが挿し木も出来ます。実際には挿し木の方がはるかに早く増えます。園芸品種は花屋さんやホームセンターで買えます。野生種は山に行くとたくさんあります。それを採取します。野生種の古い株は杉や檜の幹に這い上がって、はるか手の届かない上の方で冬場の12月にはまだ小さい実をたくさん着けています。3月になるとこの実が大粒になるものと小粒のものにはっきりと分かれ、色は黒や紫色、水色などになっています。小粒の実はほとんどがアズキほどの黒い実です。これはたくさんあり、あまり価値はありません。価値の高いのは紫色や水色の大粒のものです。花市場が人を使ってこれを集め競りにかけます。それが結婚式の飾り物に仕立てられます。アイビーの花言葉は「永遠の愛」です。知恵のある人がそれに気づき、アイビーの実を結婚式の特別な飾り物に仕立てました。これが流行り始めたのはほんの5,6年前からです。 アイビーの花言葉は「永遠の愛」と書きましたが、もともとは「くっついたら離れない」でした。アイビーの性質を表しています。たぶん日本人がそれを作り替えたようです。アイビーの実は、4月の末頃には鳥に食べられて皆無くなります。』 以上、インターネット検索《Author:田島達 FC2ブログへようこそ!》より引用 ![]() 今日登る野坂岳の上方に白く見えるのは雪です。 野坂岳は野坂山地に属し福井県敦賀市南西部にそびえ、西方ヶ岳、岩篭山とともに敦賀三山として親しまれています。山頂付近は隣の三方郡美浜町との境界線付近に位置しています。「敦賀富士」とも呼ばれ、山岳信仰の対象となっていた時代があり、今も山頂(標高913.5m)には野坂権現の祠が祀られています。 バスが少年自然の家の駐車場に到着した時は小雨模様で、レインコートを着て野坂岳の登山口から歩き始めます。冷たい風に吹かれて寒いのですが、登り坂では体温が上昇して丁度良い具合です。 ![]() 柔らかい綿を被ったゼンマイの新芽 ![]() タチツボスミレ ![]() イワナシ ![]() イカリソウ(錨草 メギ科) ![]() トリカブト(鳥兜 キンポウゲ科) トリカブトは古来より有名な毒草で、日本三大毒草の一つに挙げられるほどの猛毒を有します。明治9年に禁止されるまで、アイヌの人々はその毒を矢尻の先に塗って、狩猟に使用していたほどです。トリカブトの芽出しの頃はニリンソウとの区別が難しく、しかも同じようなところに生えているため、毎年のように誤食による中毒事故が起こっています。トリカブトは全草に毒があり、葉を数枚食べただけでも中毒することがあります。花粉も有毒で、蜂蜜による中毒例があります。 ![]() ニリンソウ(キンポウゲ科) ニリンソウは東北地方や北海道では山菜として利用されています。アイヌの人々にとっても重要な食糧でした。くせのない、あっさりとした味が人気です。 ![]() ミヤマカタバミ ![]() リョウブの芽吹き 漢字で令法(りょうぶ)と書き、飢饉(ききん)の時でも、この木を植えて飢えをしのぐようにと命令されて庭などに植えたものだそうです。ご飯とともに炊き上げて、リョウブ飯(めし)といったそうです。今度、どんな味がするのか、味わってみたいと思っています。 ![]() キブシ(木五倍子) 薄桃色や薄黄色の釣鐘型の小花を葡萄のように枝から垂れ下げて咲かせます。横に長く広がる細い枝には花穂が沢山付き上の小花から咲き始めます。雌雄異株で雄株は、雌株よりたくさんの花を咲かせますが、実は結びません。雌株は花後に実が成り、その実から黒い染色が採れます。この染料はフシ(五倍子)の代用として使われ、昔の既婚女性の御歯黒に使われました。キブシという名はここから付けられています。 ちなみに、フシ(五倍子)とは虫瘤でヌルデという木に昆虫が寄生して出来るコブのことで、その中に含まれる成分のタンニンが黒色の染料として使われます。 ![]() 一の岳より少し手前から眺める敦賀湾と敦賀の街 ![]() 冬の豪雪に耐えた木々の枝は大きく湾曲しています。 ![]() 元気に登る皆さんを見上げる私は、いつも最後尾! ![]() イワウチワの蕾 ![]() マンサク1 ![]() エンレイソウ ![]() 残雪を越えてさらに登り、二の岳の手前で昼食タイムです。 ![]() マンサク2 ![]() キツツキ類(アオゲラ、アカゲラ、オオアカゲラ、コゲラなど)の巣穴で直径は3cm~5cmくらい ![]() 二の岳から望む遠くの雪山は? 野坂岳山頂からの展望を想像しながら往路を下山します。 ![]() スミレサイシン その他にユキツバキ、マメザクラ、タムシバなどが咲いていましたが、撮影失敗で画像はありません。 約1月半ぶりの山歩きで春の山野草を楽しんだ後は、海津大崎に足を伸ばし満開の桜並木を車中より眺めて満足の一日を過ごしました。 今日もありがとうございました。 スポンサーサイト
04/16 14:22 | 山歩き 光田敦子・木村直規二人展(2013.4.2~7)を終えて
哲学の道の桜の開花に合わせたように開催された二人展は、お祝いの花々に囲まれた華やかな一週間でした。光田さんは北白川小学校の卒業生なので、当ギャラリー近くにお住まいの同窓生や旧友が来られて、連日賑わいとても楽しそうでした。夫も光田さんとは小学校と高等学校が同窓だったことがご縁でこの展覧会を開催されることになりました。 身近なモチーフを優しいタッチで仕上げた水彩画9点と丁寧なアクリル水彩画2点を展示。 ![]() 馬頭観音 ![]() 板間展示 ![]() ラディシュ(部分) ![]() 春(部分) ![]() 静物(部分) ![]() 弁財天 ![]() 恵み 光田さんは1971年に福岡で吉村郁夫氏(蒼騎会・九州支部長)に師事してから、1973年より毎年東京で朱葉会展に出品、銀座ユニグラバス展に出品など、制作活動を続けておられます。 木村直規さん(光田さんの弟さん)は陶芸の花器や食器などを和室と庭に30数点展示。 ![]() 野焼香炉 毎日お香が焚かれます。 ![]() 野焼長頸弥生写し花器 ![]() ワラ白釉花器 ![]() 野焼黒陶輪型花器 ![]() 白化粧偏壷花器 ![]() 穴窯焼締花器 ![]() 野焼先尖土器花器 ![]() 野焼花器 ![]() 白マット深向 白マット釉筒型花器 茶碗 高等学校で世界史を教えながら独学で陶芸を35年間も続けてこられた木村さんにとても驚いています。古代の土器が木村さんの先生なのでしょうか?弥生時代の器の美しさに魅了されて古代人の手が現代に甦ったようです。今後は野焼きで世界の土器再現をライフワークに陶芸を続けられるそうです。 お二人のこれからの作品を楽しみにしています。
04/07 22:48 | 展覧会 ギャラリー揺 シリーズ企画「ズレ」Ⅱ その1
北本裕二展(2013.3.19~31)を終えて 2008年のシリーズ企画「ズレ」展はユニークな面白さが功を奏して「一回だけで終わるのは惜しい!」の声に応えて、同じメンバーで5年後の今年に「ズレ」Ⅱ展を開くことができました。 ![]() 会場入口 ![]() 板間展示 ![]() 「Sui-hei」 一輪挿しのようなオブジェ ![]() 「ZURE」 蓋物のようなオブジェ ![]() 「Stripe」 ピンクの茶入れ ![]() 「Stripe 附子」 毒釉薬の茶入れ 附子(ぶす)とは、『主人が太郎冠者と次郎冠者に附子という毒の見張りを命じて外出する。二人はそれが実は砂糖だと知ってなめ尽くしてしまい、わざと主人の大事な物を壊して、附子をなめたが死ねなかったと言いわけする。』という狂言の演目の一つ。 附子と命名された茶入れに抹茶を入れて一服のお茶を頂くのは、千利休の茶道にも繋がりそうです。 ![]() 「Stripe」 茶入れ ![]() 「Stripe」 茶入れ ![]() 「山のあなたに」 壁掛け ![]() 「Stripe」 茶入れ ![]() 「シトロエンの灯り」 ![]() 「エトワール」 ![]() 和室展示 ![]() 「Stripe」 茶入れ ![]() 「Stripe」 茶入れ ![]() 「Stripe」 茶入れ(私のお気に入り) ![]() 「Stripe」 茶入れの蓋はキノコ ![]() 「Stripe」 花入れ ![]() 「ZURE」 ![]() 「ZURE」 室内の畳、庭の砂利、苔の上へと4個が繋がります。 ![]() 「planet No10」 第10番惑星・アステロイドベルトはアニメ「宇宙戦艦ヤマト」に登場。火星と木星の間の小惑星帯のことではなく、冥王星の外周にある第10番小惑星帯で、第10番惑星の成れの果てと考えられています。ヤマトがシュルツ艦隊を破ったところで、実際にエッジワース・カイパーベルトと呼ばれる小天体の帯が存在すると考えられています。 ![]() 「麦畑」 ミステリーサークル 英国を中心に世界中で報告されているミステリー・サークルは、穀物が円形(サークル形)に倒される現象や、その倒された跡です。英語ではクロップ・サークル(Crop circle)という呼称が一般的です。1980年代に謎の現象として注目され、宇宙人説をはじめとするさまざまな原因仮説が示されましたが、1990年代に入ってからは、製作者自身による告白や、超常現象懐疑派による検証が進み、人為的なものと考えられています。 ![]() 庭展示 満開のトサミズキとコラボレーション ![]() 「続・モーロックの都市計画」 イギリスの小説家H.G.ウェルズの処女小説「The Time Machine/タイム・マシン」に登場するモーロック。1895年に出版され,現代SFの先駆となりました。非ユークリッド幾何学や新たな時空論の発展を踏まえ,時間もまた移動可能な空間(第四次元)であるとする説に着想を得た中編で,スクーター型の航時機に乗り802701年の未来に到着した男を描いています。そこでは人類が子どものように弱々しいエロイと野蛮な地底人モーロックとに分化し,退化滅亡への道をすすんでいました。地球の暗い未来を予言したこの作品は,おりからの世紀末的終末感とも一致し,地底で機械を操作するモーロックに都市労働者の末路が映されるなど社会風刺も鋭く評判を呼んだ小説です。 ![]() 「続・モーロックの都市計画」 時間や空間を地底人や宇宙人からの視点で捉えて創作される北本さんは、地球人とのズレの橋渡し役のようです。2006年にギャラリーはねうさぎ(京都)で「踏む作品」を拝見して以来、今後も衝撃的な新作が生まれる事を楽しみにしています。 最後は、北本さんの文章で締め括らせて頂きます。 .................................................................... 2008年。当時僕は27歳だった。大学卒業後、四年間勤めた母校のアシスタントを退職してからは初の個展。それが『ズレ展』だった。当時は若さと、とにかく「自分の為だけの」時間というものに、小躍りしながら作品をつくっていた。見たくないものは見なくていいや。見たいものだけを見て。なんてな具合にいたら、今まで気づかなかった世界が広がるようで、高揚していた。そんな気分から、「これまで」と「これから」との、視点の違いなどが『ズレ』となった個展だった。 2013年。あれから5年。今年で32歳になる。いつの間にか、いい加減な年齢になったものだと思う。再び母校に戻り、これまた四年間勤めた非常勤講師を退職してからは初の個展。それが『ズレⅡ展』だった。でもあの頃程には若くない。5年前には見たくなかったからか、見ていなかったか、いや本当は見えてすらいなかったのか。そんな5年前の僕と、今の自分との違い、『ズレ』を探る。その一番大きな『ズレ』は今は「小踊りを止めて、考えることができる」ということだと気づいた。と同時に、今の自分も5年前の僕も、子どものころのぼくに乗っかっているのだなと、また気づく。 二十年以上前のぼく。近所の崖が好きでいて、SF小説が好きだったぼくにだ。乗っかっているんだ。何日も何年もかけて積み重なってきて。さながら地層のようになった僕に乗っかってる。でいまキーボード打っている自分がさらにそれに乗っかってる。 小躍りしていたら、たまになんかの拍子でこのあしもとが崩れて、ひょっこり。あの頃の僕には気づかなかったものにまた気づくかもしれない。そう思う個展となりました。ありがとうございます。 (北本裕二)
04/01 00:21 | 展覧会 |