美術作家 三橋登美栄
|
|
ジョン・ケージ 2012年12月29日
カフェ・モンタージュ(京都市中京区夷川通り柳馬場北東角)は、カフェの形をした小さな劇場です。室内楽や演劇などの舞台を身近に体験でき、終演後は出演者を交えたレセプションもあり交流の場として楽しめるのも魅力のひとつです。公演の無い日はカフェとして開かれています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今日の公演 ジョン・ケージ《ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズのための「冬の音楽」》 (1957年1月、NYストーニー・ポイント)[ピアノ独奏、全曲] John Cage: “Winter Music” for Bob Rauschenberg and Jasper Johns 大井浩明(ピアノ独奏)Hiroaki OOI / piano solo ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「我々は今まで《冬の音楽》を何度も演奏してきた。数えられない程だ。最初に演奏したときは、沈黙部分が長すぎ、音と音が互いに関与することなく、空間で全く孤立しているかのようだった。しかし10月初めにストックホルムの歌劇場で、マース・カニンガムとキャロリン・ブラウンの舞踏公演の幕間に演奏した際、私はそれがメロディックであることに気付いた」(ジョン・ケージ) 全20頁の楽譜は、部分だけでも全体を通奏しても、一人によって独奏されても、2人~20人によって共有されても良い。各々の音の残響、重層、相互浸透は自由である。今回の演奏では、声部記号ならびに音の選択の読み取りプロセスやデュナーミクの決定には、全て易経が用いられた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20時開演の少し前に会場に入ると、モンタージュ特製のキノコポタージュが用意されています。 それはジョン・ミルトン・ケージ(現代音楽家1912~1992 アメリカ)が無類のキノコ好きで、キノコ研究家だったからだそうです。彼がキノコ好きになったのは辞典でmusic(音楽)の前がmushroom(キノコ)だというのは有名な話です。 彼の楽曲「4分33秒」(※)の沈黙は有名で、「今日の演奏曲「冬の音楽」も沈黙が何ヶ所かあり、終了時間も未定」と最初に説明があって演奏会が始まりました。 予想通り演奏中に様々な音が割り込みます。「火の用心 」の声と拍子木の音。 車の警笛音のあとに慌ただしくエンジンを吹かす音。通奏低音のように静かに響く空調の音。階上の人の話し声。そして観客の音(椅子の動き、咳払い、捜し物、寝息、イビキ)。 沈黙の時間には緊張が高まり、曲以外の音の影響や衝撃には大きなものがあります。曲の中に音がプラスされることは予測され、諸々の音を含めてこの曲が音楽として成立するのかは分かりませんが、日常生活で耳にする「音」への意識は高まりました。 ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズの絵を思い起こしながら聴きましが、ジョン・ケージの曲も大井浩明さんの演奏も初めてで、意味不明の点も多いです。でも現代美術に通じる不安感に置き換えて納得しました。 帰宅後、You Tubeで彼の曲“In A Landscape”(1948), “4;33”(1952),“Atlas Eclipticalis”(1961-62), “Two2 | Lines 21-23”などを聴きながら彼の楽譜を見ると、五線紙には収まらず絵のように自由奔放です。 私の感想:「4分33秒」は従来の音楽に対する問題提起と考え、沈黙と知らずにコンサートを聴きに行った時の聴衆の衝撃と戸惑いには意味があると思います。でも、今回の私のように沈黙のコンサートと知って聴きに行くのは、先に手品の種を明かされているのですが、演奏者の技量に引きこまれて楽しかったです。 演奏者・大井浩明氏は京都市出(1968年生まれ)でピアニスト、チェンバリスト、オルガニスト、オンド・マルト奏者だそうです。次回は現代音楽ではない曲を聴いてみたいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (※) ジョン・ケージが1952年に発表した「4分33秒」は、3楽章に渡って全く演奏することのない、無音の音楽。指揮者がタクトを振ることはなく、オーケストラの面々も楽器を用意してはいるものの、吹かず、弾かず、叩かずに、4分33秒後に演奏は終了。 スポンサーサイト
12/31 13:55 | 日々 ベルクール(2012年12月26日)
京都市左京区田中里の前町のフレンチレストラン・ベルクールで、夫の兄夫婦とその娘夫婦と私達夫婦6名でディナーを予約。「今年一年間ありがとう!」のひと時を一緒に過ごします。 ![]() ベルクールのスタッフ2人に暖かく迎えられ、白い花とキャンドル・ライトが心地良い落ち着いた雰囲気が素敵です。夕食には少し早い午後6時のせいか私達が一番乗りのお客なのも嬉しいです。 ![]() 食事前の美しいお皿を前にメニューを見ながら、それぞれにコース料理の前菜、主菜、デザートを選びます。飲み物はカールスバーグ(デンマークのビール)を夫が注文。緑色の瓶が美しく、お味はスッキリ、あっさりです。 ![]() 先ずフランスパン、無塩バター、ポーク味のパテが来てから、ポタージュスープでスタートします。 焦がしたキャベツにカリカリの生ハムが入った濃厚なお味に、緑の葉のトッピングとクロケット(コロッケのこと)付きが嬉しいです。 ![]() 前菜:冬人参のムースと帆立貝のブラック焼 オレンジと生姜のソース マカロンのように可愛く、フワフワと崩れて食べにくいですが、ホタテガイにソースを絡めて美味しく頂きます。トッピングの赤い葉は何でしょうか? ![]() 主菜:真鯛のポワレ 乳化したオリーブのソースとインカの目覚め 「インカの目覚め」は、原産地・南米アンデスのじゃがいもを日本向けに改良したもので、鮮やかな黄色で、栗かサツマイモを思わせるホクホク感があり、秋冬に人気の高級ジャガイモのことです。 久々のフランス料理が嬉しくて「ポワレ」の意味を調べました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ポワレ(poêlé)は、フランス料理における調理法のひとつ。 フランス料理の歴史を辿り厳格に判断すると、本来の意味は「蓋をした底の深い銅鍋に、少量のフォンを入れ蒸し焼きにすること」であり、ただ「焼く」という方法ではない。この為似通った調理法である、ロティ(蓋をせず底の浅い鉄板に肉塊をのせ、フォンを用いずにオーブンで焼くこと)や、ブレゼ(蓋をした底の深い銅鍋に、肉塊と多量のフォンを満たしオーブンで煮込み焼く)と混同された時期もあったが、近年はフライパンに油脂をひき、具材の表面をカリッとした感触になるよう焼き上げるということを「ポワレ」としている料理人や解説書が多い。ポワレは原則として調理の間にアロゼ(調理過程で出た脂を調理中の素材にかけること。)をする。昔はフライパンの事をポワレ鍋と呼んでいたことに由来する。魚料理の調理法としてポワレを使う料理人が現れているが、元々は肉料理で用いられた料理法である。調理の一例としては、魚の切り身に塩コショウして下味をつけ、オリーブ油で両面を色よく焼いた後、ソースと共に盛りつける。魚はウシノシタ(舌平目)やスズキ、アマダイなどの白身の魚や、マス・サケ類などがよく用いられる。ムニエルとは異なり、小麦粉などの粉をまぶさない。(以上ウィキペディア フリー百科事典より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ![]() デザート:チョコレートとコーヒークリームのガトー キャラメルアイイスクリーム 前菜と同じお皿ですが、中央に粉砂糖の帯模様を装ってデザートに似合っています。 一口マドレーヌ(オレンジ風味)は焼きたてで暖かく、アイスクリームと一緒に美味しく頂きました。 落ち着いてくつろげる素敵なレストランでの食事も終り私達が席を立つ頃の店内は、若いカップルや4人連れなどでとても賑わっていました。2日前のクリスマスイブのディナーはお料理もお客達も豪華に華やいでスタッフ達は大忙しだったことでしょう。 付録:後から知ったのですが、基本的にここはワインと一緒にお料理を楽しむお店なので、ワインを美味しく頂けるようにお料理の味をアレンジ。主菜の後にチーズを楽しみ、デザートの後に食後酒とコーヒー。20種類のフランス産チーズや幅広い品揃えのワイン。普通のフランス式食事の時間を過ごすための要素が揃っているそうです。次回はワインとチーズでフランスを味わいましょう。
12/28 12:03 | 日々 井田 彪 展(2012.12.4~16)を終えて
「若狭高浜で夕陽を眺めている時、遥か彼方の水平線に空気に包まれて沈む太陽の音が聴こえて感動した。」と井田彪氏から幼少時代の思い出話を伺いました。その感動は今も消えずに制作原点に繋がっているそうです。 「air to air resonance」で、作品から聴こえる音を包んでいる空気の共鳴を観賞することは、音楽を観るようで不思議です。太陽が沈む音は聴こえない私ですが、作品の音に耳を傾けることは可能で、空気の存在を再意識しました。 冬の澄みきった空気の中で、庭の立体作品は高く伸びて空まで共鳴しています。 ![]() 1 平面 air to air resonance-w5 2 平面 air to air resonance-w10 3 立体 air to air resonance-s57 4 平面 air to air resonance-p11 5 平面 air to air resonance-m17 6 平面 air to air resonance-p20 7 立体 air to air resonance-s71 8 平面 air to air resonance-n16 9 立体 air to air resonance-s20 10 立体 air to air resonance-10 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「air to air」その思い 「わたし、いま、ここ」をつねに問いかけて、包摂し、囲繞されている世界に感応し、さまざまな環境や自然や壮大な宇宙のなかで生きている私がいて、あなたがいる。そして、この生き、生きられる大地の空間には、「空気」といった生命をもたず眼にみえない物資がある。この「空気」が地球上の自然界の万有の動きの始原のひとつである、と考える。その「空気」は、つねにそれ自体を動かすとともに、他のものも合成や分解や増大や生成や消滅させ変容させる動的存在である。そして生命系を維持する現在的存在である。 この動的存在、自然界の生命や物質を変容させつつ、森羅万象を循環させる存在である「空気」を主テーマに造形活動を展開している。また、この「空気」を、さまざまな造形でもって眼にみえない「空気」を顕在化、体現させようとしている。いわばこの顕在化は、「わたしの存在」を鮮明化することであり、「生きる今」を他者と共振し、感じることでもある。 また、この「空気」である「air」を広義な意味での「空気」として捉え、膨張する宇宙の中の地球、その地球に生きる「わたし」という関係を作品に取り込み、さまざまな素材でもって造形活動を広げている。それは「空気=空間」の視覚化と「人間の感性」を蘇生させる場と場所の創り出すことである。 そして、宇宙の創始と、その形成を見つめつつ、それぞれの人々が「わたし、いま、ここ」を問い、そして、それぞれの人々が「生きるわたし」であるその存在に気づき、互いに「生」を共振できることをめざして作品を創作している。 ぜひ、作品を通じて、眼にみえない「空気」を全身で感じ取ってもらい、「宇宙」のなかの「わたし」である「あなた」を見いだしてもらいたい、と思っています。 井田 彪 ![]() 会期中の京都新聞朝刊文化面(2012年12月13日)に掲載された文章を紹介いたします。 「私のモノがたり」 小さな木箱は、たばこ好きの亡き父が若いころに手作りしたらしい。一升ますを一周り大きくした大きさで刻みたばこの葉をいれていた。使い込んで表面は黒々としている。箱の縁がわずかにへこんでいるのは、きせるでコツコツたたいた跡だ。これを見ると、井田彪さんは、食卓の風景をおもいだす。 井田さんは5人きょうだいの4番目。明治生まれの父は、布帛(‘繊維)製造業を営んでいた。細かい繊維の粉じんが舞う工場内では火気は厳禁。父は住居でも、ちり一つにも気を使う人だった。毎日細かな所まで掃除を欠かさない。清潔好きで、行儀にも厳しかった。食事の時、父は、きせるを手に、いつも左脇に、この箱を置き、箱の縁をたたいた。少しでも子どもがうるさかったり、行儀が悪かったりすると「容赦なくきせるでぶたれた」という。「小さい頃から大人になるまで、この箱は私たちの成長を見ていた」。自身、父譲りのたばこ好きだ。 親子7人で囲んだ食卓は、創作の現風景だ。井田さんは幼少から「なぜ自分がきょうだいの中のこの位置にいるのか」疑問だった。「長男にも末っ子にもなれない。三男という立場を演じ続けなければならない」。また、次兄は戦後美術界で版画の概念を押し広げた照一さん(1941~2006年)でいつも照一の弟としてみられ、兄の存在をこせない」。 そうした葛藤は自分の位置はどこなのか、周りの世界との関係性、「わたし、いま、ここ」というテーマへ連なっていった。さびた鉄板、自然石、角材を組み合わせ、空気に切り込む緊張感あふれる造形は、水平や垂直、間など目に見えないものを意識させる。「形を作るのではなく、空気が形態を作り出す。ものの周囲の空気を、いかに感じさせられるか。形と空気の共振によって互いの存在が感じられると、今という時間が現現してくる」 頑固な父と世話好きな母は、子ども全員を「好きな道をやり遂げろ」と社会へ送りだした。井田さんにとって父親の象徴である四角い木箱は、家庭や社会、そして宇宙にいる自らの位置を示唆してくれる存在なのかもしれない。 (河村 亮)
12/25 17:29 | 展覧会 林 康夫 展(2012.11.20~12.2)を終えて
2005年秋にギャラリー揺を開廊して早や8年目に入り、丁度100回目に林康夫展を開催する事ができて、とても嬉しく思っています。 ![]() 展示作品 1 寓舎 ‘12-2 2 小立体 3 寓舎 緑韻C 4 寓舎 緑韻 12-2 5 陶板 斜と正面A(黒) 6 陶板 斜と正面B(白) 7 陶板 アプローチ 8 陶板 斜と正面D(赤) 9 寓舎 影 10 寓舎 ‘11-余話 11 陶板 斜と正面C(緑) 12 寓舎 緑韻B 13 陶板 コンポジション 14 寓舎 緑韻 ‘12-1 15 寓舎 風韻 16 寓舎 波形の如く6(1985) 17 寓舎 方韻 ![]() 寓舎と名付けられた作品は、家型の立方体の側面に引かれた直線や曲線によって、より立体的な奥行きが複雑に現れます。中学の数学で習った図形の補助線のようにも見え、ドラえもんの「どこでもドア」のように異次元の別世界に迷い込む不思議な宇宙が広がります。作品写真を観ると、平面に置き換えられるための錯覚から凹凸を逆に感じることが起き、不可能な立体を空想して驚きます。大きな寓舎の屋根に当たる部分は丸みを帯びた蓋になっています。その蓋を開けると寓舎の魔法は解けて、作品の手びねり成形の技術の精巧さを大発見します。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 以下は、京都新聞(2012年11月24日朝刊)美術欄 / ギャラリーに掲載された記事です。 前衛陶芸の先駆者 描く現代の空気 林康夫展 林康夫は、戦後いち早く前衛陶芸を志した在野グループ「四耕会」(1947~56年)の創立メンバー。西洋の近代美術から刺激を受け、以後半世紀以上、陶による立体作品を制作してきた。作品は50年にフランスのチェルヌスキー美術館での「現代日本陶芸展」で高い評価を得たのを皮切りに、国内のみならず海外で展覧会を重ね、四つの国際展でグランプリを受賞するなど受賞歴も多い。 直線と円弧で構成される「直弧文」からインスパイアされた、曲線とフラットな面、シャープな角による立体構成。黒い化粧土で覆われた立体の上に、マスキングを用いた直線や色彩の面、グラデーションを描いて3次元の錯視をもたらす作品が多い。これは林が戦時中、特攻隊で夜間飛行中に体験した幻視がもとになっているという。見る者に不思議なビジョンをもたらす作品は、フランスでオペラの舞台美術に用いられ、ドイツでは「数学とセラミック展」という展覧会が開かれている。 今回の出品は、長年続けてきた「寓舎」シリーズ。新作に切り込みが黒々と口を開け、空洞たるやきものの内部をうかがわせる作品、あるいは壁面を抜き、素通しにした内部に立体が浮かび上がる作品が登場した。現代を「混沌とした時代」と語る林。時代の不気味な空気と、それを突き抜けてきた林の創作のエネルギーの両方が作品の中に見える。 (沢田眉香子・著述業)
12/18 19:32 | 展覧会 |