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三十三間山 2011年5月9日(月)
三十三間山 2011年5月9日(月)

「自然と語る会」第324回に参加しました。(参加者12名)
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チャーターバスJR石山駅北口7:30→西武大津店前→湖西道路→R477→R367→R303→福井県に入りR218→R27→倉見峠→三十三間山登山口9:30→大草原(昼食)12:10→頂上→下山13:45→登山口15:45→駐車場出発17:35→西武大津店前19:20
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7:40西武大津店前から私1人が途中乗車し、久し振りに出会うメンバーに「元気にしてた~?」と楽しく情報交換します。美しい新緑を眺めながらバスは1時間半余りで三十三間山登山口駐車場に到着。1164年に京都の三十三間堂が創建された際、その棟木をここの山中から切り出したという伝説がある「三十三間山」に登ります。倉見登山口、最後の水場、夫婦松、中間点、風神、頂上までの3kmコースを往復します。

ムラサキケマン
ムラサキケマン(紫華鬘 ケマンソウ科キケマン属)
平地や山麓の日陰のやや湿った所に生える越年草です。華鬘というのは仏殿の欄間などの装飾具のことです。葉は2,3回羽状に細かく裂け、裂片には更に深い切れ込みがあります。花は紅紫色と、ときには白で、長さ2cmくらいの筒状です。

シャク
シャク(ヤマニンジン)
葉が人参の葉に似ていることから、「ヤマニンジン」と呼ばれ、地方によっては食べられ、民家の周辺や、土手に多く自生しています。

スミレ
スミレの群生

カキドオシ クサイチゴ
カキドオシとクサイチゴの共生

瓦
綺麗に枝打ちされたスギの植林帯を通って登って行くと、積み重ねられた瓦の山が点在しています。どんな建物が建っていたのでしょう。

ジュウモンジシダ
ジュウモンジシダ(オシダ科 イノデ属)葉が十文字になっています。

イカリソウ
イカリソウ(メギ科イカリソウ属)
淡紫色の花弁に長さ1.5~2cmの長い距があり、船のイカリのように見えることから名づけられました。怒って角を出した「怒り」ソウではありません。草丈は標準20~40cm位ですが、ここは低くて10cm未満です。

タムシバ
タムシバの花が残っています。

トリカブト
トリカブト
春の若芽のころは、葉がモミジガサやニリンソウによく似ているので、山菜と間違えて採取されることがあるそうです。春は葉の部分に、秋は根の部分に毒性が強く、昔は毒矢として狩猟に用いられました。鹿も有毒を知っているのでしょう。鹿に食べられることなく無事きれいに残っています。

オオカメノキ
オオカメノキ

樹々の枝
ブナの枝は冬の積雪に耐えて曲がって成長します。
いつも通り登りは苦手で、写真撮影しながらグループの一番最後を喘ぎ喘ぎ登ります。
頂上手前の大草原で昼食。メンバー手造りの「タタキワラビ」「コシアブラの胡麻和え」「イタドリ」をご馳走になります。食後は天を仰ぎながらゆっくり昼寝のつもりでしたが「カタクリを発見!」の知らせに植物好きの皆さんは頂上に向かい、私も登ることにしました。

カタクリ
カタクリ(片栗 ユリ科カタクリ属)
花披はそりかえり、かがり火のように見えます。昔はこの麟茎から抽出したデンプンを片栗粉として調理に用いていましたが、近年は片栗粉というとほぼジャガイモから抽出したデンプン粉のことをさすようになりました。
代表的なスプリング・エフェメラルです。春植物(Spring ephemeral)の説明を少し。
周りの木々が葉を開く前の早春に茎や葉を地上に出して花を咲き光合成を行い、木の葉で陰になる初夏には地上部が枯れてしまい、地下の根茎や種子で後の季節をひっそりと暮らす植物を指す生態学的な言葉です。そのはかなさ故に「Spring ephemeral」とも呼ばれています。ephemeralとは、カゲロウなどのように、現れてすぐ消える短命な生き物のことをいい、カゲロウの学名の一部(Ephemeron)にもなっているそうです。春の日の夢とでもいうような生物を示す言葉です。アズマイチゲ、ユキワリイチゲ(瀧樹神社で観察2011.3.7)ヤマブキソウ、アマナ、フクジュソウ、セツブンソウ、コバイモ、エンゴサク、なども春植物です。

ワサビ
ワサビ(山葵 アブラナ科)
白色4弁の小花が咲きハート型の若葉を食べると辛味がとても美味しいです。

頂上付近
頂上付近の展望
春霞みでよく見えませんが、琵琶湖はどの辺りでしょう。
大草原を後に13:45来た道を下山します。皆さん順調に下山するはずでしたがメンバーの1人が道に迷い、バスの出発が50分位遅くなって、西武大津店前到着は19:20でした。

私も以前に田上山で迷子になりましたが、シーンと静まり返った山中に、たった1人になった緊張感はとても貴重な体験です。大自然の中の小さな存在を自覚してメンバーと離れずグループ行動するように心がけます。 
皆さまお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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05/14 20:15 | 山歩き
大徳寺 芳春院  2011年4月24日
大徳寺 芳春院  2011年4月24日

久し振りに和服を着て、京都市北区紫野にある臨済宗大本山大徳寺を訪問します。天気予報通り午後から激しい雷雨に見舞われ、慌てて雨コートを着ても足元は濡れます。
さて大徳寺では、特別公開「黄梅院」と「総見院」の立て看板が目に入り、2ヶ寺を拝観しました。

黄梅院1
大徳寺塔頭 黄梅院(おうばいいん)の入り口から広い苔庭を撮影。(境内は撮影禁止)
永禄5年(1562年)織田信長父・信秀の追善供養のために創建、「黄梅庵」と名づけられ、下って天正14年(1586年)、豊臣秀吉、小早川隆景に依って本堂、庫裏、唐門など諸堂の改築がなされて「黄梅院」と改め塔頭の1つとなりました。それぞれ国の重要文化財に指定されています。障壁画(雲谷等顔、等益筆 重文)や武野紹鴎の茶室「昨夢軒」や千利休の作庭した「直中庭」等いろいろ、室町時代を今に伝えてきた遺構が残されている寺院です。

総見院1
総見院1

総見院2
総見院2
大徳寺塔頭 総見院(そうけんいん)は、本能寺の変で亡くなった織田信長の菩提を弔うため豊臣秀吉が建立したお寺です。天正10年(1582年)、秀吉が主君信長の冥福を祈るために古渓宗陳(こけいそうちん)和尚を開祖として創建。本堂の内陣正面中央に木像織田信長座像が安置されています。豊臣秀吉が催した「大徳寺大茶会」は、ここ総見院だそうです。

芳春院山門
今日、訪問する芳春院(ほうしゅんいん)は大徳寺塔頭の内で最も北に位置しています。
慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、芳春院)が建立。法号をとって芳春院と名づけ、前田家の菩提寺となりました。夫人・松子は、二男九女の子宝に恵まれ、利家死後、徳川家康の圧迫から、前田家を守るため、江戸に下り人質としての苦悩の15年間を送られたそうです。

芳春院参道
芳春院の整った長い石畳の参道を歩くと心が落ち着きます。

八重椿
重たそうに下を向いて咲く淡いピンクの八重椿が迎えてくれます。

芳春院唐門
唐門から先は通常非公開で、一本の青竹で区切られた結界から境内に入ります。

芳春院境内
芳春院の境内。 ここから先の撮影は遠慮しました。
秋吉則州住職様に辻村史郎作の茶碗でお抹茶、吾只足知の和菓子、一久の大徳寺納豆を頂いて、とても不思議な像を拝見したのち、境内をご案内して頂きます。先ず本堂で、ご本尊の釈迦牟尼佛像、前田利家夫人像(正面ではなく左向きの像)、初代住職像をお参りしました。(因みに現住職・秋吉様は23代目)本堂の襖は白地で、現在京都の日本画家が制作中と伺い完成の日が待たれます。この前庭「花岸庭」は、枯山水庭園で山渓より流れ出る水がやがて大海へ帰る大自然を表わしているそうです。以前は桔梗が咲き乱れていたそうです。
本堂後には金閣、銀閣、飛雲閣と並び京の四閣と称される優美な二重楼閣「呑湖閣(どんこかく)」があります。呑湖閣は東方はるか比叡山の向こうの琵琶湖を飲むという意味で、
元和3年(1617年)に前田利家の子・利長が小堀政一(遠州)に依頼して建てたものと伝えられています。呑湖閣に至る橋は「打月橋」、樓閣山水庭園の池は「飽雲池」と命名されています。呑湖閣の二階に上がると、視界が広がり大徳寺の向こうには、比叡山、船岡山が眺められます。その後は、茶室、落葉亭、松月軒、如是庵を拝見しました。

芳春院
ここまで撮影を遠慮していたのですが、中庭に優しく咲く低灌木の白小花が目に入ると、「何の花ですか?」と質問しながら撮ってしまいました。名前を検索中です。

お忙しい日々をお過ごしの御住職様に、心暖かく丁寧にご案内して頂き、今日の一期一会の機会をとても感謝しています。 一番大切なことを書き忘れているような不安な気持ちになるのは、禅寺訪問のせいでしょうか?  
とても楽しい時間を本当にありがとうございました。

05/07 17:26 | 日々
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