fc2ブログ
前田早苗 仏画展
前田早苗 仏画展 ―慈愛― (2024.3.26~3.31)を終えて

細密描写の仏画を軸装と額装を交えて14点展示して頂きました。
元々仏画は、仏像と同じく仏教の教義を伝えるために成立しました。特に平安時代の密教の隆盛と共に多くの仏画が描かれています。

≪展示仏画作品≫
1 観音
2 弥勒菩薩
3 地天
4 大日如来
5 妙見菩薩
6 普賢菩薩
7 虚空蔵菩薩
8 慈愛
9 阿弥陀如来
10 楊柳観音
11 連弁にのる観音
12 普賢延命菩薩
13 洞窟の観音
14 連弁に身を任す観音

IMG_1075.jpg
玄関入口の仏画「観音」

IMG_1067.jpg

IMG_1043.jpg
仏画「弥勒菩薩」

IMG_1044.jpg
仏画「地天」

IMG_1083.jpg


DSC_0283.jpg
仏画「大日如来」

IMG_20200519_130254.jpg
仏画「普賢菩薩」

PXL_20231122_061925116.jpg
仏画「慈愛」

IMG_1084.jpg

IMG_1025.jpg
庭の椿・宗旦

image2.jpg
仏画「阿弥陀如来」

IMG_1045.jpg
仏画「楊柳観音」

IMG_1061.jpg
和室で仏画の説明をされる前田早苗氏

IMG_1046.jpg
仏画「普賢延命菩薩」

IMG_1023.jpg


IMG_1047.jpg
仏画「洞窟の観音」

………………………………………………………………………

IMG_1001.jpg
毎日新聞(2024年(令和6年)3月22日 金曜日 京都26地域版)
前田早苗仏画展26日(火)~31日(日)11時~17時(最終日は16時まで)、左京区銀閣寺前町、ギャラリー揺(090-9092-6298)。タイトルは「慈愛」。絵絹に水干絵具で描いた軸装4点、額装約10点を展示する。

………………………………………………………………………

京都新聞(2024年(令和6年)3月30日 土曜日)
美術欄・ギャラリーに掲載された記事(作品写真掲載)
前田早苗展(揺=銀閣寺前町 31日まで 月休)観音の乗る連弁を深い水色の波が揺らし、柔和な表情の大日如来が、華麗な光背を背後に、さえざえした色の光の中に浮かび上がる。細やかな描写と、個性のある色彩で荘厳された仏画14点。独力で無心に描き続け、5年ぶりの個展。(沢田眉香子・著述業)

………………………………………………………………………

≪展覧会を終えて 1≫

「ギャラリー揺と仏画との融合」そのことに尽きる展覧会でした。自然の光がそそぎ、時折り鳥の声が聞こえる、静かな心地良い空間が、仏画を引き立たせ、相乗効果を築き、あたたかく、厳かな雰囲気を醸し出してくれました。これ以上ないと思うくらいのギャラリー揺の力に支えられました。会期中に来てくださった方々に様々な声をいただいて、私が気付いたことは、生きていく上で、身近な支えとなる仏画を描けて行けたら幸せだろうなと思いました。前日の個展準備は時間をかけて会場を作り上げる楽しさも味あわせていただきました。あたたかく!新鮮で!素晴らしい!夢のような6日間でした。ありがとうございました。 (前田早苗)

………………………………………………………………………

≪展覧会を終えて 2≫

展覧会場に置かれた感想ノートの一部をご紹介させて頂きます。
・とても 心が安らぐような気持になりました。前田さんのお人柄が現れていて素敵でした。
・仲良しご夫妻で うらやましいです。感動いたしました。
・背景の美しさに目をうばわれました。
・心あらわれる思いです。清らかな気持ちになりました。感謝いたします。
・自分の心が洗われました。大変美しい仏様で 感動しました。
・色づかいや表情が とてもやさしくて いやされました。
・前田さんの仏画を拝見でき、落ち着いた時間をすごすことができました。
・とても優しい気持ちになれました。
・悩みや苦労も多い日々ですが、明日からもまた明るい気持ちですごしていこうと思いました。
・吸い込まれるような 心を洗われるような 不思議な感覚を覚えました。
・このあわただしい この世の中から 心静かに すごせる時間 ひとときに ありがたく思いました。
・日の光の入ってくる部屋での仏画を見る空気感が独特でした。
・中に入ってすぐ、とても優しい気持ちになりました。
・ご主人様が ていねいに説明して頂き、感謝です。みせて頂き、ほんとうに ありがとうございました。
・長生きしたお陰で、仏画を観られて嬉しいです。感激しています。


仏教美術の鑑賞には、歴史的な事柄や仏教図像に関する知識が必要と思われていますが、今回の仏画展はそうした知識なしでも鑑賞して頂けるところが嬉しいです。前田早苗氏の繊細な仏画の美しさを十分に満喫して、心の安らぎを得られる展覧会でした。「ありがたいですね。」と言いながら会場に入って来られる方。仏画の前に正座して静かに過ごされる方。「新聞記事を見て来ました。」と初対面の92歳の男性が2回もご来廊。120名以上の方々に仏画をご鑑賞して頂きました。終最終日(3月31日)は夫の祥月命日にあたり、普賢延命菩薩様に感謝の気持ちを報告して、大盛況のうちに展覧会を終了させて頂きました。素晴らしい仏画展をありがとうございました。合掌 (ギャラリー揺 三橋登美栄)

IMG_1144.jpg
哲学の道の桜(3月31日撮影)


スポンサーサイト



04/08 16:04 | 展覧会
黒河兼吉展(2024.3.12~3.24)を終えて
黒河兼吉展(2024.3.12~3.24)を終えて
KENKICHI KUROKAWA CERAMIC×PRASTIC

4年ぶり2回目の黒河兼吉展を開催して頂きました。
黒河氏はデザインから原型制作、成形、焼成までの全製造行程を全てご自身の手で行われます。

IMG_0804.jpg
展覧会場

IMG_0807.jpg IMG_0813.jpg
小物入れ 使用目的に合わせて組み合わせることができます。
 
IMG_0839.jpg IMG_0831.jpg
小物入れ 自由に組み合わせて楽しめます。

IMG_0828.jpg
小物入れ
   
IMG_0836.jpg IMG_0834.jpg
大切な物を入れても、冷酒を入れても、

IMG_0802.jpg
展覧会場

IMG_0826.jpg
陽が差し込み、伸びやかなシルエットに安らぎを感じます。

IMG_0840.jpg
花器の組み合わせ

IMG_0841.jpg
弾力のある柔らかいプラスティックと硬いセラミックとの組み合わせ花器

IMG_0846.jpg
和の設え

IMG_0849.jpg IMG_0850.jpg

IMG_0853.jpg IMG_0881.jpg
アルストロメリア(左側)、アミガサユリ(右側)を生けた花器

IMG_0855.jpg
庭の設え

IMG_0869.jpg
可憐な トサミズキの花

IMG_0823.jpg
優しい笑顔の黒河兼吉氏

………………………………………………………………

個展を終えて

これまで個展を開催するたびに、自分自身に対し何かひとつだけ小さな挑戦を課すことを心がけてきました。目的は再び無知であることを思い知り、少しでも自分を更新させるためです。今回の挑戦は、セラミックデザインにプラスチックを素材とする3Dプリンティング技術を持ち込むことで、それぞれの素材特性を活かしたデザインを生み出すことでした。
永続的でとても硬いセラミック素材と半ば刹那的で弾力のあるプラスチック素材。デザインするにあたり、正反対とも言える素材の特性や加工方法を読み解き、それぞれの役割を適切に整理し、機能性を検討しました。そうした結果、単一形体のセラミックモジュールに対して多様なプラスチック製パーツを付加することによって、形状や機能、使い方を様々に変更することのできるデザインが完成しました。展示に関しては、そのデザイン意図や使い方の多様性を感じてもらえるようなレイアウトにこだわり、実際にお客様からは異質な素材同士の相性の良さやデザインのユニークさを評価していただきました。また自分自身は、悠久の歴史を持つセラミック素材と、生まれて間もない3Dプリンティングによるプラスチック素材の融合に、新鮮な驚きと可能性を感じながら展示期間を過ごすことができました。
最後にこの場を借りて、足を運んでくださったお客様とお声がけ頂いたギャラリーの主人に心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。 (黒河兼吉)

………………………………………………………………

庭に咲いている椿の花「加茂本阿弥」を愛でながら、黒河氏に「この椿は、、、」と話しかけたところ、「どうしてこれは椿ですか?」と私に尋ねられました。植物の分類と名前について説明するのですが、私の不確かな記憶のせいで椿の話は頓挫。そこから遥か彼方の話題に飛んで、私のお喋りが続くから大変です。でも黒河氏の話の展開は鋭敏で、探求心が旺盛で、物事を本質まで掘り下げて語られます。熱く語られた時、新たなデザインの閃きの予兆を感じました。次回の展覧会も新しい挑戦を試みられると思います。デザイン性と機能性を併せ持ち、人の心を豊かにしてくれる新作を楽しみにしています。2週間の素敵なCERAMIC × PRASTIC 展をありがとうございました。(ギャラリー揺 三橋登美栄)


04/03 12:29 | 展覧会
第六回 一六一六展 (2024.3.5~10)を終えて
第六回 一六一六展 (2024.3.5~10)を終えて

2016年に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)通信教育部・陶芸コース卒業生のグループ展です。幣ギャラリーでは5回目、8名の多彩な作品が室内と庭に展示されました。

《出品者 8名》
梅本泰子 梅香恵美子 落合利男 川本修
谷口和久 中澤文恵 長瀬真弓 野田華子

IMG_0650.jpg


IMG_0651.jpg
作品「氷花」『磁土 下絵具 透明釉』(梅本泰子)

 
IMG_0661.jpg IMG_0662.jpg
作品「染まりました」『草木染のランチョンマットに・・・』(中澤文恵)


IMG_0664.jpg
作品「ⅡDrago」『今年の干支』(谷口和久)

IMG_0665.jpg
作品「all that Jazz(あれもこれも)」『赤土 黒化粧 下絵具』(梅香恵美子)

IMG_0657.jpg

IMG_0671.jpg
作品「山土皿7枚組」『地元で採取した主体の土とオリジナル釉薬で制作。武骨な大小の皿ですが、春の山菜でも載せて一口いかがでしょうか。』(川本 修)

IMG_0696.jpg
作品「万古の宴」『故郷の万古の土を使い、さやに入れて炭化焼成しました。表面に少しいたずらしてみました。』(野田華子)

IMG_0694.jpg
作品「卵の記憶」『私の掌にすっぽりおさまる器をつくってみました。』(野田華子)

IMG_0712.jpg
作品「夢想」『磁土 下絵具 透明釉』(梅本泰子)

IMG_0675.jpg
作品「花器」『ロクロで分厚く挽き、ワイヤーでカットしました。』(長瀬真弓)

IMG_0702.jpg
作品「a coppia di ciotola quadrata」『角中皿 打込み成型』(谷口和久)

IMG_0678.jpg
作品「月へ行く三つの方法」『陶片板の制作を自分の仕事の一つとしたい』(落合利男)

IMG_0680.jpg
作品「琮形角瓶」『中国古代の玉を模し、日本では算木手と呼ばれる』(落合利男)

IMG_0682.jpg
作品「父と子Ⅱ」『地元で採取した主体の土とオリジナル釉薬で制作。昨年に引き続き、父と子シリーズ第2弾。昔は私(大)>長男(中) >次男(小)の順番だったのですが、現在は、次男(大)>長男(中) >私(小)に変わりました。』

IMG_0688.jpg
作品「Umiへ」『いけばな展に出展される方の嵯峨御流の花器を作りました。枝ものをダイナミックに活けて頂きました。』(長瀬真弓)

IMG_0755.jpg
多くの来廊者で賑わった最終日

IMG_0761.jpg
第6回一六一六展参加者

……………………………………………………………….
【 展覧会を終えて Ⅰ 】
「ギャラリー揺」にお世話になるのも今回で5回目、作品とこの場所がしっくり馴染み始めているような気がしています。毎回足を運んでくださる方も増えて、御指導、御助言いただき、嬉しく、感謝しています。一年に1回訪れる「ギャラリー揺」は私にとっても、格別な空間になっています。お客様が途切れる隙間の時間、お庭を眺めながら、時おり聞こえる野鳥のさえずりを聞くと癒されます。今後は私たち一人一人にとって次のステップへの課題が残されています。もう一歩進化していけるよう努力していきたいと思います。(梅本泰子)

……………………………………………………………….

【 展覧会を終えて Ⅱ 】
初対面のかたでも陶芸そして作品を通じて会話が始まる、一六一六陶展はそういう場です。今年もたくさんの再会と出会いがありました。陶芸を通じてつながるご縁に感謝しています。ギャラリー揺の三橋さんの心配りにも改めてありがとうございます。(梅香恵美子)

……………………………………………………………….

【 展覧会を終えて Ⅲ 】
京都から1000km離れた北海道の方、500km離れた埼玉県の方、60km離れた兵庫県の方など、多方面から京都に集い、楽しく展覧会を開催されました。個性溢れる作品を眺めながら、陶芸の奥深い魅力を味わいました。また来年の新作を楽しみにしております。(ギャラリー揺 三橋登美栄)

……………………………………………………………….

【付録】
野田華子さんは、一六一六展をご覧くださった方に揺のQRコード入りコースターをプレゼントされました。これは3Dプリンタで作られています。素材は生分解性プラスチック(PLA)で環境に優しいです。
一六一六展動画も合わせてご覧ください。https://youtu.be/L6u0hyIH5QY
03/11 11:25 | 展覧会
川瀬理央・下村一真展(2024.2.20~3.3)を終えて
川瀬理央・下村一真展(2024.2.20~3.3)を終えて

ーうつわをかりてー
2021年11月の川瀬理央・下村一真展以来、2回目の二人展を開催させて頂きました。
今回は、川瀬氏の作品を下村氏の薪窯で焼成された、共同制作品も展示されています。

……………………………………………………………………………

IMG_0500.jpg 玄関入口に展示
左 作品「刻 炎をかりる 1」(共同制作)
右 作品「刻 炎をかりる 2」(共同制作)

IMG_0503.jpg

IMG_0506.jpg板間棚に展示
左から作品「刻2024-3」「刻2024-1」「刻2024-8」「刻2024-10」

IMG_0507.jpg
左 作品「刻2024-7」 右 作品「刻2024-6」

IMG_0508.jpg
奥 作品「刻2024-11」  左 作品「刻2024-4」  右 作品「刻2024-9」

IMG_0509.jpg
作品「刻2023-6」

IMG_0510.jpg
作品「刻2023-6」
庭の落葉樹の細かい枝を背景に、作品の繊細な造形が見事に重なって観えます。

IMG_0512.jpg
左 作品「刻2024-2」 右 作品「刻2024-5」

IMG_0513.jpg
作品「刻2024-15」

IMG_0529.jpg
作品の説明をされる川瀬理央氏
磁土を使って、太さの違う小さな紐を作り、樹木を表現するのに下から積み上げて形作られます。

IMG_0515.jpg
薪窯焼成で生じる火色の表情豊かな作品

IMG_0517.jpg

IMG_0519.jpg
左奥作品「炎をすくいとる」  右奥 作品「炎をまとう」  手前 作品「炎にうずもる」

IMG_0521.jpg
手前 作品「炎をすくいとる」

IMG_0523.jpg
奥 作品「炎をうつしとる」(香たて)  手前 作品「炎にうずもる」

IMG_0524.jpg
手前 作品「炎をまとう」

IMG_0414.jpg
作品の説明をされる下村一真氏
磁土(天草陶石100%)を使って、童仙房跡の白い丸を取り囲む赤い焼き色に心を注がれています。(童仙房とは、焼成時に作品の底に敷き、くっつき止めとして使用するもの)

IMG_0526.jpg
暖かい陽が差し込む和室展示

…………………………………………………………
京都新聞(2024年3月2日)美術欄・ギャラリーに掲載された記事
川瀬理央・下村一真展(揺=左京区銀閣寺前町 3日まで)樹木をモチーフに器の形を繊細に造形する川瀬。下村は釉薬を用いず、焼成の際に炎や灰が生み出す表情をうつしとる。(高嶋慈・美術批評)

…………………………………………………………..

今回2回目の展示をさせて頂きました。振り返ってみると、前回の経験を踏まえた部分とチャレンジした部分が混在した展示になったと思います。チャレンジしたところではまだまだ改善の余地があるように感じたので、次の時には改善できればと思います。前回も思いましたが、在廊する中で少しずつ作品の見え方が変わっていくのを眺めるのは楽しく、贅沢な時間でした。ありがとうございました。(川瀬理央)

…………………………………………………………..

初回のから2年と少し、今回の二人展は、前回と比べて展示構成はほとんど変わらずですが、個々の作品の進化と、合作の制作という点に大きな変化がありました。2年前は、窯の不調が続いていましたが、今回はそれも改善し、火色のコントロールの精度が上がりました。もちろん改善すべき点は多々ありますが、幾名かのお客様から精度が上がったとのご意見を頂き、手応えを感じております。また、「2回目だから、一歩踏み込んで何か新しい事を、、、」と試みたのが、川瀬さんの造形を私が焼成する合作です。私の作品と磁器同士とはいえ、通常は型に支えられて電気窯で優しく焼成される川瀬さんの造形を、穴窯に詰めるのは大きな賭けでした。せっかくの機会なので、なるべくしっかりと窯変をつけたいのですが、その為には火前のハイリスクな場所に詰めなければなりません。かなり心配しましたが、思いのほか形は崩れず、整然とした元のフォルムが程よく崩れ、灰釉が木の枝から滴る雫のように見える、なかなか力強い作品になりました。
次回は2026年11月頃に第3回を開催予定ですが、もう一段階踏み込んだ合作を検討中です。最後になりましたが、悪天候が続く会期の中、お越し下さいました皆様、ギャラリー揺様、川瀬理央様、誠にありがとうございました。 (下村一真)

《付録》
下村さんは、奈良県宇陀郡御杖村にある薪窯で制作をされています。
[ https://youtu.be/GDsdZWODgXc ]より窯焚き動画を閲覧頂けます。 

…………………………………………………………..

会期中は雨降りや、雪がちらつく日、強風の日もありました。悪天候にもかかわらず、ご来廊者をお迎えできたことを嬉しく思っております。作品を鑑賞しながら、あれやこれやとゆっくり談話できたのは「雨の日の贈り物」でした。第3回川瀬理央・下村一真展をお声掛けさせて頂いたところ、快くお引き受けくださって喜んでおります。2年後のお二人の新作発表を楽しみにしております。どうぞご期待ください。(ギャラリー揺 三橋登美栄)


03/08 10:07 | 展覧会
カール・ベイルマン ―巡礼―個展(2024.1.9~14))を終えて
カール・ベイルマン ―巡礼― 個展(2024.1.9~14))を終えて
After finishing the Solo Exhibition CARL BERGMAN ーJYUNREIー (January 9 – 14, 2024)

IMG_8990.jpg

カール・ベイルマンは、ヘルシンキ(フィンランド)と京都(日本)を拠点に活動する写真家である。今回は写真により、自らの主観的な経験と、歴史という時間軸を合わせた重層的な作品を試みた。彼の生まれ持った旺盛な好奇心は、持続的な記録による物語と抽象的な美学を融合させる方法を模索し続けている。この「巡礼」プロジェクトは、特定の場所でつくられた写真によるインスタレーションになる。
宮本武蔵の生涯の物語は、相反する歴史的証言により、過去何度も書き直されてきた。ここでの目的は、過去に生きた人物の足跡を再構築し、「時」の中に身を置く事、その過程で、鑑賞者の人生において、「儀式」や「巡礼」のような瞬間をインスパイアできたらと思うのである。
世界的な危機が次々と訪れ、未来にどこか漠然とした不安を感じる中、時間そのものを研究することで、私たちに展望と明晰さを与えてくれる一助になればと願うのである。
Based between Helsinki (FI) and Kyoto (JP), Carl Bergman expands on photographic techniques to create layered works that orbit around temporality and the examination of subjective experience in the present. His curiosity routinely leads him to explore ways of breaking apart and recombining documentary storytelling with the aesthetics of abstraction. His 'Junrei' -project uses site specific installations and photography to retell key moments from the life story of Miyamoto Musashi and comments on how that story has been rewritten time and time again with the aid of conflicting historic accounts. The aim here is to inspire people to engage with past generations and to position themselves in time through literature, assume control over their own inner lives and create anchor points of meaning and significance in the physical world through acts of personalised rituals and pilgrimage as the cultures we live in become more and more digitized. With the world seemingly stumbling from one global crisis to another, study of time itself can give us perspective and clarity, making it a little bit easier to look ahead, to feel empowered instead of trapped in the present.

IMG_9509.jpg
展覧会場

展示作品
1 有馬 喜兵衛(木に葉とインクー美作 岡山)
2 吉岡(松に絹織ー八大神社 京都府)
3 巌流(砂に流木ー巌流島 山口県)
4 二天(座禅岩に苔ー熊本県)
5 時間(岩に和紙ー霊厳堂 熊本県)
6 無題(木に苔、爪、髪―熊本県)

1. ‘Arima Kihei'
(Ink & leaves on wood - Mimasaka in Okayama prefecture, Japan)
…………………………………
Arima Kihei, a ronin on his musha shugyō (warrior’s pilgrimage) arrived in Musashi’s home town in 1597 and put up a wooden sign post, presenting a challenge to anyone who would dare to answer it. Contenders were instructed to write their names on the board. When Musashi, still known as Bennosuke at this time, heard of this challenge he rushed to the
scene and painted over the whole signpost with ink, preventing anyone else from writing down their names. This quite apparently angered Arima Kihei who agreed to fight the boy. Here Musashi engaged in his first duel, killing a man for the first time, using a wooden quarterstaff. He was only thirteen years old.

スクリーンショット 2024-01-31 111258
2. ‘Yoshioka’
(Silk scarf on a pine tree forest behind Hachidai-jinja - Kyoto, Japan)
…………………………………
Quite soon after these events, at around fifteen, Musashi left his home town and relatively little is known of his movements until he, at twenty-one years old appeared in Kyoto, determined to challenge the shogun’s teacher, the master of the Yoshioka fencing school Yoshioka Kenpo, to a duel. However, by the time Musashi reached Kyoto, Kenpo had perished and his sons, Yoshioka Seijuro, Densichiro and Matashichiro respectively headed the school.
Musashi engaged the brothers in a series of fights, first defeating Seijuro at a now lost location on the outskirts of Kyoto, both utilising wooden swords, bokuto. Musashi emerged victorious, breaking Seijuro’s arm who promptly retired from his position at the head of the Yoshioka school and became a zen monk. Next of the Yoshioka was Densichiro who faced off with Musashi outside Rengeō-in, also known as Sanjūsangen-dō, a buddhist temple in the Higashiyama district in Kyoto. They, too, fought with wooden swords but this time the exchange proved fatal for Densichiro, who received a mortal blow to the head and perished.
Musashi’s final skirmish against the Yoshioka clan was fought in Ichijoji, under the leaves of the Sagarimatsu tree near the Hachidai shrine in northeast Kyoto. Feeling his clan’s honor tarnished by the defeats of his siblings Matashichiro challenged Musashi. However, Matashichiro, the clan’s last male heir differed from the other brothers in that he was only approximately twelve years old at the time. Safe to say Musashi did not expect the fight to be a duel.
At this point Musashi had established a pattern of arriving late to face his opponents, a habit which he now proceeded to break, this time showing up hours in advance, hiding out of sight and observing as approximitely sixty students of the Yoshioka school arrived in Matashichiro’s tow, with the intention of staging an ambush. Musashi managed to turn the situation around by taking the Yoshioka by surprise, stabbing and instantly killing Matashichiro. As he withdrew from the hill where the skirmish took place he battled the enraged Yoshioka students, killing them in large numbers. During this ordeal, Musashi later recounted, he spontaneously started using his wakizashi (short sword, side-arm) in his off-hand in addition to his regular katana in the other in order to fend off attacks from many directions at once. This two handed technique ended up becoming a trademark, if you will, of his and the basis of his own school of “Niten Ichi-ryu” (Two swords/heavens as one).
All the samurai back then carried two swords but only used one at a time. The shorter wakizashi was, for the most part, intended for close quarters combat in confined spaces where the length of a katana would’ve rendered it clumsy to use. As a consequence of these events the famed Yoshioka school came crumbling down but the family line and name were preserved through marriage and the following generations’ success in silk manufacture and trade.

スクリーンショット 2024-01-31 110451
3. ‘Ganryu’
(Driftwood on sand - Ganryujima in Shimonoseki, Japan)
…………………………………
In the Spring of 1612, a watershed moment took place. One of the most famous duels that pit two of the most renowned swordsmen of their time, Musashi and Sasaki Kojiro, against one another on Funajima (modern day Ganryujima) island, between Honshu and Kyushu, where Kojiro along with his retinue waited.. and waited. The match was scheduled to take place at dawn but on the morning of the fight Musashi slept late in Shimonoseki and made no effort to hasten his arrival. According to contemporary sources, over three hours late, he had himself rowed over to the island and according to legend during the boat ride carved himself an extraordinarily long (measuring 1,26m) bokken, a wooden sword, out of either a spare oar or a piece of driftwood. His purpose was to counter the longer than customary nodachi sword (measuring 90 cm) which Kojiro was known to employ. In other words, Musashi was well versed in his opponent’s technique, valued their skill greatly and saw it best to, once again, utilize strategy in a broader sense in order to achieve victory.
To reiterate, Musashi arrived on the island hours behind the appointed time. As the row boat he was traveling in approached the shoreline, Musashi jumped out and into the shallow water, taking care to hold the tip of his wooden sword submerged, thus concealing the actual length of his new weapon from his opponent. Kojiro understandably felt humiliated by Musashi’s late arrival, was furious and ran to the water’s edge to meet his approaching opponent. There is an account of this moment when the two finally came face to face according to which the agitated Kojiro drew his sword and tossed his scabbard into the water to which Musashi responded by telling him he had already lost; A swordsman wouldn’t throw away his sheath unless he knew he would have no chance to ever use it again. According to the witness account, this line sparked Kojiro into motion and the combatants struck as one and only once - Kojiro collapsed onto the sand. The reach of Musashi’s bokken had taken Kojiro by surprise, he had suffered a blow to his head and his own strike had missed.
This base idea of a duel, or actually any situation or experience, extending outside the physical limits of the event and into the realm of the mind and thereby being within reach of psychological manipulation repeats in Musashi’s life and writings over and over again. His purpose was to throw his opponents off-balance, to bait them into his own rhythm
using careful advance preparation and practice, to reinvent himself over and over again and to defy expectations.
Musashi lived quite literally between two worlds; The old belligerent “Warring states” Sengoku period ended and the Edo period that brought over 250 years of relative peace to Japan began in 1600 when Musashi was 16 years old. This polarity, which from a martial perspective meant the glorification of strength, cunning and winning by any means necessary during the Sengoku period and morphed into a culture that emphasized technique, style, etiquette and rituals during the Edo period, was mirrored in Musashi’s life and development. The first half of his life was spent in pursuit of maximal efficiency which culminated in a very brutal way in this most famous duel of his in shallow water in the
Kanmon strait against Sasaki Kojiro. This is also where most of the weaponized popular culture accounts of his life end – at a certain height of martial prowess and drive for victory. The next, second half of his life differed from the first in many ways; After his victory on Funajima, Musashi, according to accounts later written by his students, felt sadness for having extinguished the unique flame of his opponent. Although he continued to engage in duels in the latter part of his life, he never used a forged sword and never took another life in a match again but instead was content to use a bamboo cane or a bokuto (wooden training sword) to disarm or dominate his opponents.

4. ‘Niten’
(Moss on zazen stone - Outskirts of Kumamoto, Japan)
…………………………………
After his final fight to the death, Musashi travelled and immersed himself more and more in meditation, construction and arts separate from kenjutsu. He practiced among other arts tea ceremony, painting, sculpture and poetry. In 1640 he finally settled down in Kumamoto on the island of Kyushu as a guest and teacher of daimyo Hosokawa Tadatoshi. However, he did not end up spending a great deal of time in the Kumamoto castle itself but instead travelled back and forth to the mountains west of the city. Along the way, there is a large stone, roughly three by three meters in width and length and flat on the top where it’s said that Musashi used to rest and practice Zen Buddhist zazen (meditation). During these years, having felled his last true rival, Musashi occupied himself in inner struggles - trying to attain a greater understanding, harmony and clarity of the mind.

5. ‘Jikan’
(Washi on stone - Reigandō, Kumamoto prefecture, Japan)
…………………………………
Reigandō is a cave Musashi eventually ended up calling home, west of Kumamoto. The cave is, as caves tend to be, very ascetic. The wide mouth offers only extremely limited protection from the elements. In the middle of the cave there’s a rock on which Musashi sat as he wrote ‘Go Rin No Sho’ - a series of texts which ended up cementing his legacy for future generations and which has through the centuries, risen to the same league of literary works on strategy with Sun Tzu’s ‘Art of War’. ‘Go Rin No Sho’ speaks, at least superficially, of kenjutsu and strategy but a significant part of it are observations on the importance of not just learning but specifically of personal training and the new perspectives opened up by physical awakenings during and through said training. In ‘Go Rin No Sho’ Musashi also stresses over and over again the importance of patience and flexibility in both thought and technique. In this cave, Reigandō, far removed from the comforts of the civilized society, Musashi spent his last moments and eventually died, at sixty-one years old - committed to his path right until the end.

6. ‘Untitled’
(Moss, nails, hair on wood - Kumamoto, Japan)
…………………………………
What remains after his death? There is some debate concerning Musashi’s gravesite and it’s claimed to be in at least three different locations around Japan. This particular one pictured in the photograph, however, is the likeliest one as it is located in Kumamoto, close to Reigandō. On the spot, there is a small park with a memorial stone and beautiful trees.
During his lifetime, he never received vast material stipends nor did he have biological children. However, in addition to ‘Go Rin No Sho’, he left behind many students and two adopted sons who would continue transmitting both his will along with his school of techniques from generation to generation right up to the present day.
Today Musashi is a well-known figure in the collective Japanese psyche. Embodying one particular ideal from the samurai era, he has been immortalised in books, movies and manga and has served as an inspiration for a host of derived characters. His persona has been through so many iterations in popular culture that while Japanese people generally recognise his name - many if not most are no longer aware that he’s a historical figure.

IMG_9510.jpg
左作品「巌流」

IMG_9511.jpg
左作品「有馬喜兵衛」 中央作品「時間」 右作品「吉岡」

IMG_9508.jpg

IMG_9520.jpg
左作品「時間」 右作品「無題」

IMG_9539.jpg
展覧会2日目からのインスタレーション

IMG_9565.jpg
夕暮れ時、ガラス戸に映るインスタレーション

IMG_9526.jpg
Carl Bergman氏

…………………………………………………………

京都新聞(2024年1月13日)美術欄・ギャラリーに掲載された記事
フィンランドと京都を拠点とする写真家が、宮本武蔵をテーマにした個展を開催。武蔵の人生を巡礼した写真に、書籍や漫画の一部などを組み合わせたインスタレーションだ。(小吹隆文・美術ライター)
…………………………………………………………..

カール・ベイルマンは、ヘルシンキ(フィンランド)と京都(日本)を拠点に活動する写真家である。今回は写真により、自らの主観的な経験と、歴史という時間軸を合わせた重層的な作品を試みた。彼の生まれ持った旺盛な好奇心は、持続的な記録による物語と抽象的な美学を融合させる方法を模索し続けている。この「巡礼」プロジェクトは、特定の場所でつくられた写真によるインスタレーションになる。
宮本武蔵の生涯の物語は、相反する歴史的証言により、過去何度も書き直されてきた。ここでの目的は、過去に生きた人物の足跡を再構築し、「時」の中に身を置く事、その過程で、鑑賞者の人生において、「儀式」や「巡礼」のような瞬間をインスパイアできたらと思うのである。世界的な危機が次々と訪れ、未来にどこか漠然とした不安を感じる中、時間そのものを研究することで、私たちに展望と明晰さを与えてくれる一助になればと願うのである。
カールはワールドビルダーであり、コンセプチュアルな静物画と解体されたモザイクの物語を専門としています。仕事でもプライベートでも、定期的に海外に連れて行ってくれますが、ヘルシンキは彼が帰ってくる場所です。バーグマンのコマーシャル作品は、グラフィアの「ベスト・オブ・ザ・イヤー」とグランド・ワンの年間コンペティションの両方で数々の賞を受賞しています。
彼の作品はいくつかのモダニズム運動からヒントを得ており、彼のアプローチは本質的にミニマリストであることが多いですが、彼は熱烈に職人的なプロセスを信じています。 ベルイマンの世界は、愛着、支配、そしてその喪失をめぐる軌道に乗っている。彼の作品では、一見平凡に見えるものを称賛するカラフルでグラフィックな観察と雰囲気を、それ自体の正当性に疑問を投げかけるようなユーモアで重ねています。この遊び心こそが、彼の視点を理解するために不可欠なのです。 この内在する疑念は、均等化要因として機能し、物事や状況に少しの魔法を吹き込む準備として見せかけの仕事を脱ぎ捨て、慣れ親しんだものは、長い間繰り返しになり、ほとんど見えなくなっています。言うなれば、頂点の瞬間だけでなく、可動域全体を鑑賞しようとする試みです

Based between Helsinki (FI) and Kyoto (JP), Carl Bergman expands on photographic techniques to create layered works that orbit around temporality and the examination of subjective experience in the present. His curiosity routinely leads him to explore ways of breaking apart and recombining documentary storytelling with the aesthetics of abstraction. His 'Junrei' -project uses site specific installations and photography to retell key moments from the life story of Miyamoto Musashi and comments on how that story has been rewritten time and time again with the aid of conflicting historic accounts. The aim here is to inspire people to engage with past generations and to position themselves in time through literature, assume control over their own inner lives and create anchor points of meaning and significance in the physical world through acts of personalised rituals and pilgrimage as the cultures we live in become more and more digitized. With the world seemingly stumbling from one global crisis to another, study of time itself can give us perspective and clarity, making it a little bit easier to look ahead, to feel empowered instead of trapped in the present.
Carl is a world builder, specializing in conceptual still life and deconstructed mosaic narratives. Both his professional and personal curiosity routinely take him abroad but Helsinki is where3 he comes home to.Bergman’s commercial work has earned him numerous awards in both Grafia’s ‘Best of the year’ and Grand One’s yearly competition.
While his work takes cues from several modernist movements and his approach is often minimalist in nature, he fervently believes in a craftsmanlike process where from is ultimately subject to content, within the boundaries of his laws of physics.
Bergman’s world is very much in orbit around attachment, control and the loss thereof. In his work he layers colorful, graphic observations and atmospheres that celebrate the seemingly mundane with humor that appears to question its own legitimacy. It’s this playfulness that’s imperative for understanding his point of view.
This built-in doubt acts as an equalizing factor, shedding the work of pretense in preparation to imbue a bit of magic back into thing and situations familiarity has long since turned repetitive and near invisible. An attempt to appreciate a whole range of motion instead of just an apex moment, if you will.

…………………………………………………………………
…………………………………………………………………

2019年夏にフィンランドを訪問した私は、カメラマンCarl Gergman氏にお会いする機会を得ました。その折に拝見した彼の作品は「宮本武蔵の聖地巡礼」のインスタレーション写真です。それは400年前の宮本武蔵が今に繋がっていることが伝わってくる作品でした。井上雄彦の漫画「バカボンド」を読んで宮本武蔵をご存知の若者は多いと思います。私はこれを機に「五輪書」(宮本武蔵著)を読み直してみたくなりました。生きること、死ぬことをもう一度考え直すきっかけを頂いた展覧会でした。
カールさんは魅力的な日本女性と結婚されています。奥様は展覧会の資料の翻訳、搬入、会期中の通訳、記録整理など、細部にわたってお手伝い頂き、お世話になりました。深く感謝しています。
カールさんの次回の新作作品展を楽しみにしています。(ギャラリー揺 三橋登美栄)


01/28 20:58 | 展覧会
template design by takamu
Copyright © 2006 Mitsuhashi All Rights Reserved